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古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

村上春樹氏の文章構成は正しいのか?

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村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』への言及がありますので、ご注意願います。)

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のAmazonレビューでなかなか面白いレビューがありましたので、ちょっと考察してみます。(といっても大分昔のレビューですので、今更書くな、と言われそうですが。)

 

レビュアーは「猫のいない世界」氏で、「村上氏の文章構成は本当に正しいのでしょうか?」と疑問を呈しています。レビューのリンク先はこちらです。

彼がおかしいと例示的に指摘した『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の文章は以下の通りです。

 

「つくるが実際に自殺を試みなかったのはあるいは、死への想いがあまりにも純粋で強烈すぎて、それに見合う死の手段が、具体的な像を心中に結べなかったからかもしれない。具体性はそこではむしろ副次的な問題だった。もしそのとき手の届くところに死につながる扉があったなら、彼は迷わず押し開けていたはずだ。深く考えるまでもなく、いわば日常の続きとして。しかし幸か不幸か、そのような扉を手近な場所に見つけることが彼にはできなかった。」

 

これに対して「猫のいない世界」氏が、村上春樹氏の文章がおかしいと考える主な指摘は、

 

1『具体的な像を結べなかったから自殺できなかったのかも』の次の文では『具体性はむしろ副次的な問題だった』と続くのは変なのではないか?これって論理がおかしくないですか?

2『死について考えないときは、まったく何についても考えなかった』と言いきってるのに、まったく気にせずに色んなことを考えまくっていた描写が出てきたり

3『まったく』『何も』『はっきりと』という断定の言葉がよく出てくるのに、舌の根も乾かぬうちに『あるいは……』といって別のことを言い出す。

4そもそも、死について以外を考えずに生活するって、不可能じゃない?

辺りではないかと思われます。以下検討してみましょう。

 

1については、つくるが「実際に自殺を試みなかったのはあるいは、死への想いがあまりにも純粋で強烈すぎて、それに見合う死の手段が、具体的な像を結べなかったからかもしれない」と回想しているということです。だから、別に地の文といっても、ここではつくるの主観的な思考を描写しているのです。 

「具体性はそこではむしろ副次的な問題だった」というのもつくるの思いです。要は、つくるにとっては「死への想い」そのもの(これが主的な問題)が純粋すぎて「具体的な死ぬための方法」について考えるのは副次的な問題であり、しかしながら具体的に死ぬ方法を考えなかったために、かえって実際には積極的に自殺しなかったということですね。ということで、別に論理的におかしくありません。 

「猫のいない世界」氏がおかしいと思ったのは、「彼が自殺するか否か」という問題に対する客観的な原因として、「『具体性』は主な要因なのか、あるいは副次的な要因なのか」という意味として「副次的」という言葉を作者が使っていると解釈してしまったため、「結局、客観的には『具体的な方法』が考えられなかったことが主要因として彼は自殺しなかったではないか、それを『副次的』と書くのはおかしい、『具体的な方法』は主要因ではないのか」と考えたためです。 

しかし、ここに書かれているのは、あくまで多崎つくるの頭の中の主観的な思考回路を描写しているのであって、客観的な話をしているのではないのです。

つまり、あまり思考が純粋で抽象的すぎると、かえって具体的な方法への思考まで及ばなくて、具体的な行動をしなくなってしまうことってあるよね、という事です。「いや、私はそんな事を思ったことは今までにない」ということですと、そこから話が進まなくなりますが、そういう思考をする人はいますし、そういう思考回路を理解する人は(多分少なからず)いますよ、という話です。 

2は具体的な事例が記載されていないので、ちょっとよく分かりません。 

3も、どの文章を指しているのか分かりませんが、結局これも、人間の思考の流れを描写している訳です。『まったく』『何も』『はっきりと』と断定的に『こうだ!』あるいは『こうではない!』と一旦確信したその次の瞬間に、いや『あるいは……』○○という可能性があるかもしれないといって別の可能性が思い浮かび、思考が逡巡する、というのは人間の思考としてよくある話です。 

論文でその逡巡をわざわざ書いたら「アホか」と思われますが、これは小説であり、おそらく登場人物の思考の流れを描写したシーンのことだと思われますので、「ああ、これは登場人物の思考の流れを描いたんだな」と思えば良い話です。人間はコンピュータではなく、いろいろ逡巡するものであるため、こういった描写はかえって人間らしいリアルな描写といえます。 

4の「そもそも、死について以外を考えずに生活するって、不可能じゃない?」というのは「考える」という言葉をどうとらえるかによりますね。少なくとも多崎つくるにとっては食事をしたり、排便したり、洗濯したりといった生活のための「必要最小限度」の行動は、「機械的に」できる行動であり、「機械的な」行動は「考える」うちに入らないということなのでしょう。「いや、そういう機械的な行動をするための思考だって『考える』うちに入るぞ」という突っ込みはあるかもしれませんが、多崎つくるが「考える」をそのようには定義していない以上、これは仕方がないことかと思われます。