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古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

「歴史は勝者がつくる」が「勝者は事実によって裁かれる」ということ

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「歴史は勝者がつくる」というのは、いろいろな意味があります。 

 

1.勝者が次の時代の支配者となり、社会の秩序を作る以上、勝者が正当化される。正当化された支配者が「正義」の歴史が語られ、「正史」となる。 

 

2.「戦争に勝ったこと」自体が、勝者の正当化になる。戦の勝敗の結果が勝者・敗者に対する全体的な評価になってしまう。(そういう価値観を人間は持ってしまう。戦争に勝ったのは、勝者が「正しく、賢く、強い」からで、敗者が「不正で、愚かで、弱い」からであるという評価になりがちである。) 

「戦の勝敗は時の運」といいますが、実際には人間は、勝敗には必然的な因果性があるような「物語」を求めています。自分や家族・一族の命運がかかった戦争の勝敗に因果性がないなどという恐ろしい事は考えたくもありません。 

 もちろん、戦争の戦略的・戦術的な成功・失敗の原因を科学的・技術的に分析することは可能であり、そこに因果性を認めることはできます。そこから法則を導くことも可能でしょう。しかし、人は戦争の勝敗に戦略的・戦術的な因果関係のみではなく、勝者・敗者の正当(正統)性や価値観、政策、人格等全体的なものまで因果関係に組み込みたがる傾向にあります。

 

3. 敗者の記録は消失し、残らない。敗者の記録は戦火で焼失する。残った者は後難を恐れ、敗者との関係を隠蔽するため関係する証拠を大抵隠滅する。

 勝者の記録は残る。勝者は当然自身を正当化する記録を残す。

 

 実は、「歴史は勝者がつくる」というのは、3.が一番大きい意味のではないかと思われます。例えば関ヶ原の戦いの記録は勝利した東軍側の史料が圧倒的に多いし、敗軍で滅んだ西軍大名の史料は消失し、生き残った西軍大名や親豊臣大名とみなされた大名の残した史料も、徳川の監視による後難を恐れて、自家にとって都合の悪い史料は隠滅され、滅んだ大名に責任転嫁するため、後から捏造されている史料すらあります。

 

 徳川時代は終わって150年弱も経ち、我々は「徳川史観」から自由になったつもりな訳ですが、歴史学というのは史料主義(歴史学用語としてこのような言い方はないかもしれませんが、他に言いようもありませんので・・・)ですので、結局残った史料に基づいて歴史はつくられます。史料批判はされますが、これも史料の存在が前提です。

 

 つまり、失われた史料からは当然歴史は語られず、残った史料のほとんどは勝者の物ですので、史料に基づいて客観的に歴史を語ろうとするつもりでも、おのずと歴史記述のベースは勝者の歴史観に近付いてしまいます。

 

 もちろん、現代の歴史学では実証主義歴史学の反省や見直しも行われていますが、歴史学の「基本は史料に基づいた歴史」という大元のところを変えるのは事実上困難だと思われます。

 

 ということで、徳川時代は終わって150年弱も経っている現在の我々でさえも、近世の歴史について徳川時代の史料に基づく「徳川史観」から自由になれません。自分は客観的に見ているつもりでも、史料自体がその時代の史観に毒されている以上、無意識的にその時代の史観に引き寄せられてしまうのですね。ここら辺は気を付けなくてはいけません。

 

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 しかし、一方で「勝者は事実によって裁かれる」こともあるのですね。

 

 勝者に権力があるとして、「小さな事件」の隠蔽は可能であっても、多くの人に知られてしまった「大きな事件」を隠蔽することはできません。人の口に戸は立てられません。「大きな事件」は権力者がいくら隠蔽したくても隠すことはできず、勝者はその事実の裁きを逃れることはできないのです。

 

 そして、勝者は「未来に起こした事実によって裁かれる」こともあります。生き残った勝者は、未来に行動を選択する「自由」があり、未来の行動に責任が課されます。勝者が過去に言った言動に相反する行動を未来に取った時に、それは歴史から審判を受けることになります。

 

 逆に敗者(死者)に対しては「未来に起こった事実」による裁きはできません。死んでいる者は、未来については(死んでいるので)当然責任は取れません。また、「ifの未来」にも敗者は責任を取る必要はありません。我々の世界は多元的宇宙ではありません。「ifの未来」は存在しない以上、敗者が存在しない「ifの未来」の責任を問われる事はありえません。

 

 例えば、「『関ヶ原の戦い』において、石田三成らは、豊臣家を守るために立ち上がった『義臣』や『忠臣』ではない、『私利私欲』で動いたのだ」という言説があったとして、これは最早証明しようがないわけです。もし、石田三成らが「勝者」となり、専横にふるまって、豊臣家をないがしろにした「ifの未来」が存在すれば、その証明になる訳ですが、「ifの未来」そのものが存在しませんので、検証しようがありません。結局その人間の内心の真意は分からない以上、「本人が言っているなら、それが真意なのだろう」と推定する以上のことはできません。

 

 敗者(死者)は、「未来」について責任を問われることがないのです。

 

 対して、当時徳川家康は西軍諸将から「家康は豊臣家をないがしろにしている、害をなさんとしている」と糾弾されていた訳ですが、確かにそのように見える要因があったからこそ糾弾されているにしても、この関ヶ原の戦いがはじまる直前の時点では、家康に明らかに豊臣家を害する意思があったかどうかまでは、外からは確定できません。

 

 つまり、西軍諸将の糾弾は「(今までの家康の行動から推測すると)おそらく、今後家康は豊臣家に害をなすであろう」という未来への推定のもとに行われたわけで、この時点ではそれは「西軍諸将の言いがかり」であるか「糾弾された内容が家康の真意」であるかは確定しません。言いがかりであったという可能性もこの時点ではありえます。

 

 仮に関ヶ原の戦いに家康で敗れて死亡した場合、結局、家康の真意は実は確定しなくなるのです。

 

 この家康が敗者になった仮の世界の後の歴史家が「家康には豊臣家に害をなす意思はなかった。それは勝者である西軍諸将の『言いがかり』だった」という説を上げたとして、家康の内心については、はかりようがない訳ですので単純には否定できなくなります。結局、疑われるような行動をする家康がいけない、という説になるかと思いますが、それは「疑わしい」というだけで、家康の「真意」を確定することはできません。

 

 家康の真意が確定するのは、未来において豊臣家を滅ぼしたことによってです。勝者は敗者とは違って行動することができますので、その当時は確定できなかった「真意」通りの行動を行うことによって、事実は確定されるのです。

 この未来の行動によって、西軍諸将の「推定」は、「事実」として遡って確定します。

 

 歴史は勝者がつくりますが、その後、未来に行った事実によって裁かれるのです。ある意味、勝者は未来に行った自分の行動によって過去から復讐されるのです。逆に死者は未来に行動できませんので、未来について裁かれることはありません。

 

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 時々「方広寺鐘銘事件」(「国家安康、君臣豊楽」というやつです。)で現在でも未だに変な屁理屈をこねて徳川家康を擁護する人がいるのには驚かされます。

 

 変に屁理屈をこねまわす必要はなく、「あれは家康の豊臣家への言いがかりだ」というのが、昔でも現在でも普通の人間の感覚であり、その素朴な感覚に従うべきでしょう。

 まるで、「はだかの王様」で「王様ははだかだ」と言った子供に対して、その事件から400年経った現在でも「子供の言っていることは間違っている」と言う大人のようです。ある意味「徳川史観」に毒されている人間がいまだにいることに驚きますし、「史観」というものは思ったより強固なものだと感じます。