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古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

村上春樹作品における「悪」について-第1章 はじめに

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村上春樹羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『スプートニクの恋人』『海辺のカフカ』『アフターダーク』『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、ドストエフスキー『悪霊』のへ言及があります。ご注意願います。)

 

 以下に、後期村上春樹作品の「悪」の概念について考察してみます。

 

 結論から言いますと、『ねじまき鳥クロニクル』~『海辺のカフカ』期の「悪」の概念は、ユング心理学を主な基底としているが、『1Q84』は、それに加えてアーレント及びオーウェルの影響があり、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』ではドストエフスキー『悪霊』の影響も強い(まあ、「悪霊」という言葉を使っているんだから当たり前ですが)のではないかということです。

 また、『アフターダーク』は過渡的な作品で、「悪」の位置づけが作者自身にもはっきりしなかった作品ではないかと考えます。

 このように、後期村上春樹作品における「悪」の概念は一定しているわけではなく、変遷している、というのが考察の結果の結論です。

 以下、順を追って説明します。

 *                 *                  *

 

(以下、論考のため著作者等の敬称は略します。引用文での太字強調は筆者によるものです。)

 

 まず、村上春樹が「悪」という言葉を使っているインタビューについて以下に引用してみます。

 

「悪ということについては、僕はずうっと考えていました。僕の小説が深みを持って広がりを持っていくためには、やはり、悪というものは不可欠だろうと、ちょっとしたきっかけのようなものがあって、ずうっと考えていたんです。どういう風に悪を描けばいいのかというようなことを考えているんです。そういう風にはっきり考え始めたのは、『世界の終り』を書いた後ですね。そこから悪というものが常に意識の中にあります。

 

 たとえば『海辺のカフカ』における悪というものは、やはり、地下二階の部分。彼が父親から遺伝子として血として引き継いできた地下二階の部分、これは引き継ぐものだと僕は思うんですよ。多かれ少なかれ子どもというのは親からそういうものを引き継いでいくものです。呪いであれ祝福であれ、それはもう血の中に入ってるものだし、それは古代にまで遡っていけるものだというふうに僕は考えているわけです。たとえば弥生時代ぐらいまで、ずぅーっと血をたどっていけば結局行くわけだし、連綿として繋がっている。そこには古代の闇みたいなものがあり、そこで人が感じた恐怖とか、怒りとか、悲しみとかいうものは綿々と続いているものだと思うんです。あるいはそこで待ち受けているものというか。僕は輪廻とかそういうものはとくに信じないけれど、そういう血の引き継ぎというのは信じてもいいような気がする。根源的な記憶としてカフカ君が引き継いでいるのもそれなんです。それを引き継ぎたくなくても、彼には選べないんです。それが僕はこの話のいちばん深い暗い部分だというふうに思うんです。」(初出「文學界 2003年4月号」)(*1)

 

(*1)では「悪」に対して、「遺伝子として血として引き継いできた地下二階の部分」「古代にまで遡っていけるもの」「古代の闇」「根源的な記憶として」という言葉を使っています。これらの言葉は、ユング心理学の「悪」及び「集合的(普遍的)無意識」を意識している発言です。(村上春樹がよく使う「地下二階」という用語は「集合的(普遍的)無意識」のことを指します。)

 

 このインタビューは、村上春樹作品の「悪」の概念が、根底的にユング心理学の理解に基づくものだということを示しています。(特にこのインタビューに限らず、村上春樹作品とユング心理学の関連性が深いことは、村上春樹河合隼雄の対談集『村上春樹河合隼雄に会いにいく』等でも明らかです。)

   次に『ユング心理学辞典』より、「悪」の項について抜粋します。

 

「(前略)「善と悪はそれぞれわれわれの倫理的判断の原理だが、存在論的な根源にまで戻せば、『始原』、神の様相である」(CW 10,para.846)。原理とは、包括的なものであり、個人が下す判断よりも強力で、元型的な神イメージの属性である(元型)。したがってユングの考えでは、この問題を相対化することは不可能であり、人間は悪そのものを扱い、その力とダイモーン的な両価性を認めねばならない。(後略)」(*2)(ユングは『ヨブへの答え』等で神に悪(影)の側面があることを指摘しており、神学者たちから激しい批判を受けています。)

 

 上記で述べたように、ユング心理学において「悪」は、存在論的な根源にまで戻れば「始原(神)」にまで遡るものです。筆者が、村上春樹作品の書評で「悪」を「根源的な悪」としたのは、ユング心理学における「悪」を前提としています。

 村上春樹作品における「悪」とは、インタビューで書かれているように、親・先祖・古代・そして根源の闇まで遡る「根源的な闇の(集団的)記憶」としての「根源的な悪」です。(ユング心理学では、「集合的(普遍的)無意識」に「古代の根源的な闇の集団的な記憶」が眠っているとします。)

 

 村上春樹の著作では、「根源的な悪」を象徴するものが多く出てきます。『羊をめぐる冒険』の「羊」、『ねじまき鳥クロニクル』の綿谷ノボルに取り憑いているアレ(書評では筆者は「ねじ緩め鳥」としました)、『海辺のカフカ』のジョニー・ウォーカー→ナカタさんに取り憑いている「圧倒的な偏見をもって強固に抹殺」しなければならない、ぬるぬるした白い「邪悪なもの」。

 これらを表現するならば、正直「根源的な悪」と言うより他に表現しようがありません。村上春樹の小説上には、実体を持った「根源的な悪」は明確に存在しているのです。

 

 これまでの筆者の書評では、ユング心理学の「悪」を前提として「根源的な悪」という語を用い、カント、アーレントの用語としての「根源的な悪」は前提としていませんでしたので、その点ご考慮願います。

 

 それでは、次の章から、『ねじまき鳥クロニクル』から『色彩を持たない多崎つくる』までの各村上春樹作品の「悪」の概念について考察し直していきます。

 

 次章は、ユング心理学における「悪=普遍的な影」と『ねじまき鳥クロニクル』についてです。

 

第2章 ユング心理学における「悪=普遍的な影」と『ねじまき鳥クロニクル』についてに進む

 

 注

(*1)村上春樹 2012年、p118~119

(*2)A.サミュエルズ、B・ショーター、F・プラウト 1993年、p3

 

参考文献

A・サミュエルズ、B・ショーター、F・プラウト(山中康裕監修、濱野清志・垂谷茂弘訳)『ユング心理学辞典』創元社、1993年

大場登・森さち子『精神分析ユング心理学』NHK出版、2011年

河合隼雄『影の現象学講談社学術文庫、1987年

河合隼雄村上春樹村上春樹河合隼雄に会いにいく』岩波書店、1996年

小山花子「美学観察者としてのハンナ・アーレント:『イェルサレムのアイヒマン』を中心に」(『一橋論叢 134(2)、2005年』)

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/15543/1/ronso1340200890.pdf

ジョージ・オーウェル高橋和久訳)『一九八四年[新訳版]』ハヤカワepi文庫、2009年

ドストエフスキー江川卓訳)『悪霊』(上・下)新潮文庫、1971年

ハナ・アーレント(大久保和郎・大島かおり共訳)『全体主義の起源 3 全体主義みすず書房、1974年

林道義『人と思想 59 ユング清水書院、1980年

村上春樹ねじまき鳥クロニクル』(第1部・第2部)新潮社、1994年

村上春樹ねじまき鳥クロニクル』(第3部)新潮社、1995年

村上春樹スプートニクの恋人講談社、1999年

村上春樹海辺のカフカ』(上・下)新潮社、2002年

村上春樹村上春樹編集長 少年カフカ』新潮社、2003年

村上春樹アフターダーク講談社、2004年

村上春樹1Q84』(BOOK1、BOOK2)新潮社、2009年

村上春樹1Q84』(BOOK3)新潮社、2010年

村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』文春文庫、2012年

村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年文藝春秋、2013年

村上春樹『女のいない男たち』文藝春秋、2014年

森川精一「『全体主義の起源について』――五○年代のアーレント政治思想の展開と転回」(『政治思想研究』2008年5月/第8号)

矢野久美子『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』中公新書、2014年

リチャード・J.バーンスタイン(阿部ふく子・後藤正英・齋藤直樹・菅原潤・田口茂訳)『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』法政大学出版局、2013年