古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

村上春樹作品における「悪」について-第5章 『海辺のカフカ』の「悪」について

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第4章 アーレントにおける「悪」の概念とは~村上春樹作品における「悪」の概念の変遷について に戻る

 

(追記(平成28年5月29日):多分、テレビ番組の影響かと思いますが、このエントリーにアクセスが集中しています。しかし、アーレントにおける(ナチスの)「悪」の概念については、前のエントリーの方が詳しいですので、その内容について興味を持って訪問された方は、そちらをまずご覧ください。↓

koueorihotaru.hatenadiary.com

 

村上春樹海辺のカフカ』のネタバレを含む言及があります。ご注意願います。)

 

 第1章で引用した村上春樹のインタビューを再掲します。

 

「(前略)たとえば『海辺のカフカ』における悪というものは、やはり、地下二階の部分。彼が父親から遺伝子として血として引き継いできた地下二階の部分、これは引き継ぐものだと僕は思うんですよ。多かれ少なかれ子どもというのは親からそういうものを引き継いでいくものです。呪いであれ祝福であれ、それはもう血の中に入ってるものだし、それは古代にまで遡っていけるものだというふうに僕は考えているわけです。たとえば弥生時代ぐらいまで、ずぅーっと血をたどっていけば結局行くわけだし、連綿として繋がっている。そこには古代の闇みたいなものがあり、そこで人が感じた恐怖とか、怒りとか、悲しみとかいうものは綿々と続いているものだと思うんです。あるいはそこで待ち受けているものというか。僕は輪廻とかそういうものはとくに信じないけれど、そういう血の引き継ぎというのは信じてもいいような気がする。根源的な記憶としてカフカ君が引き継いでいるのもそれなんです。それを引き継ぎたくなくても、彼には選べないんです。それが僕はこの話のいちばん深い暗い部分だというふうに思うんです。」(初出「文學界 2003年4月号」)(*1)

 

 上記のインタビューのように、『海辺のカフカ』の「悪」は「根源的な記憶」として「古代の闇」に遡る「悪」、「血の引き継ぎ」として先祖から子孫へと受け継がれるユング心理学を下敷きにした「根源的な悪」です。

 

 確かに『海辺のカフカ』ではアーレントを思わせる引用がありますが、まずカフカ君が読んでいるのは「アイヒマンの裁判について書かれた本」(*2)がアーレントの『イェルサレムのアイヒマン』とは明示されていません。

 また、大島さんが嫌う「想像力を欠いた人々」(*3)はアーレントの「「思考を拒む」(thought-defying)」(*4)「悪の陳腐(凡庸)さ」の概念を想起させますが、この言葉の示す先はフェミニズム団体の女性2人組に向けられたものであって、この作品の「悪」であるジョニー・ウォーカーに向けられたものでありません。

 

 そして、自分が知らないうちにシャツに大量の血がついていたことについて、カフカ君は自分が裁判にかけられることを想像し、以下のように考えます。

 

「僕は本を閉じ、膝の上に置く。そして自分の責任について考える。考えないわけにはいかない。僕の白いシャツには新しい血がついていたのだ。僕はこの手でその血を洗い流した。洗面台が真っ赤になるぐらいの血だった。その流された血に対して、僕はたぶん責任を負うことになるだろう。自分が裁判にかけられているところを想像する。人々が僕を非難し、責任を追及している。みんなが僕の顔をにらみ、指をつきつける。記憶にないことには責任を持てないんだ、と僕は主張する。そこでほんとうになにが起こったのか、それさえ僕は知らないんだ。でも彼らは言う、「誰がその夢の本来の持ち主であれ、その夢を君は共有したのだ。だからその夢の中でおこなわれたことに対して君はその責任を負わなくてはならない。結局のところその夢は、君の魂の暗い通路を通って忍びこんできたものだから」

 ヒットラーの巨大に歪んだ夢の中に否応もなく巻き込まれていった、アドルフ・アイヒマン中佐と同じように。」(*5)

 

 ここでのアイヒマンの責任とは、「命令に対して、自らの思考(想像力)を拒み、従ったという『悪』(悪の陳腐(凡庸)さ)」に対する責任です。その命令の元が、「教祖」であれ、「思想」であれ、「父」であれ、その命令に盲目的に従うならば、その服従自体に「悪」が発生し、責任を負わなければいけません。

 

 このヒットラーの命令に従ったアイヒマンの「悪の陳腐(凡庸)さ」と教祖麻原の命令に従ったオウム真理教でのサリン事件の実行犯の「悪」との類似が想起されます。また、この物語中では、父からの「悪」の継承という「呪い」に否応もなく巻き込まれていった、カフカ君自身に潜む「悪」を指しています。

 しかし、この「悪の『命令』あるいは『呪い』」を拒否する「思考する力」「想像力」を人間は持っています。この力を持って個人は「悪」に立ち向かわなくてはいけません。そうしないと「悪」に呑み込まれることになります。この作品での「悪」は父から子へ「呪い」として継承される「悪」、この「呪い」を主人公がいかに乗り越えるのかがこの作品の大きなテーマです。

 

 そして「父」に象徴される「悪」は、アーレント的な「悪の陳腐(凡庸)さ」の「悪」ではありません。この「父」の「悪」は上記で述べたように「根源的な悪」です。両者を混同してはいけません。

 このように『海辺のカフカ』の時点では、「悪をなさせる悪」である「根源的な悪」と、「悪の『命令』に従う悪(「陳腐(凡庸)な悪」)」は分けられており、「陳腐(凡庸)な悪」についてはメインには語られてはいません。

 

 次章では、『1Q84』年における「悪」と「リトル・ピープル」の概念について考察します。

 

第6章 『1Q84』の「悪」~リトル・ピープル  に進む

 

 注 

(*1)村上春樹 2012年、p119

(*2)村上春樹 2002年、上p226

(*3)村上春樹 2002年、上p313

(*4)小山花子 2005年、p160

(*5)村上春樹 2002年、上p227~228

 

参考文献

A・サミュエルズ、B・ショーター、F・プラウト(山中康裕監修、濱野清志・垂谷茂弘訳)『ユング心理学辞典』創元社、1993年

大場登・森さち子『精神分析ユング心理学』NHK出版、2011年

河合隼雄『影の現象学講談社学術文庫、1987年

河合隼雄村上春樹村上春樹河合隼雄に会いにいく』岩波書店、1996年

小山花子「美学観察者としてのハンナ・アーレント:『イェルサレムのアイヒマン』を中心に」(『一橋論叢 134(2)、2005年』)

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/15543/1/ronso1340200890.pdf

ジョージ・オーウェル高橋和久訳)『一九八四年[新訳版]』ハヤカワepi文庫、2009年

ドストエフスキー江川卓訳)『悪霊』(上・下)新潮文庫、1971年

ハナ・アーレント(大久保和郎・大島かおり共訳)『全体主義の起源 3 全体主義みすず書房、1974年

林道義『人と思想 59 ユング清水書院、1980年

村上春樹ねじまき鳥クロニクル』(第1部・第2部)新潮社、1994年

村上春樹ねじまき鳥クロニクル』(第3部)新潮社、1995年

村上春樹スプートニクの恋人講談社、1999年

村上春樹海辺のカフカ』(上・下)新潮社、2002年

村上春樹村上春樹編集長 少年カフカ』新潮社、2003年

村上春樹アフターダーク講談社、2004年

村上春樹1Q84』(BOOK1、BOOK2)新潮社、2009年

村上春樹1Q84』(BOOK3)新潮社、2010年

村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』文春文庫、2012年

村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年文藝春秋、2013年

村上春樹『女のいない男たち』文藝春秋、2014年

森川精一「『全体主義の起源について』――五○年代のアーレント政治思想の展開と転回」(『政治思想研究』2008年5月/第8号)

矢野久美子『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』中公新書、2014年

リチャード・J.バーンスタイン(阿部ふく子・後藤正英・齋藤直樹・菅原潤・田口茂訳)『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』法政大学出版局、2013年