古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

大河ドラマ 『真田丸』 第20話 「前兆」 感想

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※前回の感想(ではないですが・・・)です。↓

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 今回は「聚楽第落書事件」をメインとした回でした。

 

 既に指摘している人が多いように、史実では門番17名の処刑と尾藤道休の首だけに留まらず、この後に近隣の住民63名が捕えられ磔にされています。(そして、ドラマでも別に取りやめにしたとは秀吉は言っていません。)

 

 つまり、このドラマでの真田信繫の工作や、石田三成の命がけの諌言や、北政所の説教はまったくの無意味だったということです。秀吉は誰の言う事も聞かない暴君です。そして、ドラマの北政所が語ったように、それが昔からの秀吉の本質であり、秀吉は別に「変わった」訳ではありません。秀吉の残虐性は昔からです。

 

 秀吉の周りの人間は、秀吉の前ではまったく無力の存在であるということを、この回は(実際の史実との合わせ技で)よく示したといえるでしょう。秀吉に諌言するということは、命がけということで、しかもその命がけの行動をしても、ほとんど意味はありません。何をしても秀吉の前では「無意味」というのが、今回のドラマの要旨かと思います。

 

 秀吉は、周囲の人間に何をやっても無駄だという「無力感」を味あわせ、この人間に全力で従うより他はない、そうしないと死ぬだけだという気分にさせ(そして「気分」ではなく、本当に死にます)、周囲の人間を操縦しようとします。サイコパスの洗脳手段のひとつです。繰り返しになりますが、秀吉はある段階から「狂った」訳ではありません。元からそういう人間なのです。そういった意味では、元々豊臣政権というのは誕生の時点から滅亡の種を抱えていた政権であるといえるでしょう。

 

(追記:今回のドラマで、三成が北政所に命を助けられるという展開は、従来の俗説の三成(西軍)=淀殿派、家康(東軍)=北政所派のような(従来の大河ドラマでもよくやっていた)、安易な展開にはこのドラマではしないという描写だと思いますので、その点は好感が持てます。(筆者は、史実の北政所は西軍派であったと考えています。この点は、またドラマが関ヶ原に近付いてきたら書きたいと思います。)

 

聚楽第落書事件について、捕捉しました。↓

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※次回の感想です。↓

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