古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

妄想 軍師官兵衛

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(このお話はフィクションです)

(前回までのあらすじ)

 秀吉の遺言で、秀頼の事を頼まれた黒田官兵衛。正直、秀吉に対してはいろいろな思いがあるが、死に瀕した男の願いに、官兵衛は「わかりました、秀頼君をお守りましょう」と約束する。秀吉は今までの官兵衛に対する仕打ちを詫び、密かに後事を官兵衛に託す。 

*                    *                * 

 そして、秀吉死亡。徳川家康は満を持して天下乗っ取りをはかる。それを阻もうとする前田利家石田三成ら奉行衆。しかし、前田利家の病死によって、情勢は悪化する。徳川家康の意をくむ七武将の襲撃により石田三成は蟄居に追い込まれる。その後、前田利家の息子、前田利長は家康暗殺の嫌疑を受け、母まつを人質に出し家康に恭順する。 

 上杉景勝は、家康のすすめもあって国元に戻る。豊臣家にとっての仮想敵大名である伊達政宗に備えるため軍備を整える上杉景勝。家康も了承している筈の軍備に対する咎めが家康から来て「嵌められた」ことを悟る上杉景勝直江兼続。上杉家は前田家のように家康の言いがかりに屈することなく、直江状を送り家康の非をならす。

「これほど無礼な書状は見たことはない」と言って家康は上杉討伐に向かう。賛同して同行する徳川派諸将。 

 家康が大坂を離れたこの期を狙い、立ち上がる石田三成。彼は、大谷義継を説き伏せ、家康打倒に決起する。彼の呼びかけに毛利輝元宇喜多秀家小西行長真田昌幸らが応える。

 しかし、石田三成が思ったようにことが運ばない。三奉行による「内府(家康)違いの条々」により家康の非は明らかになったにも関わらず、福島正則加藤清正ら「豊臣恩顧の大名」であるはずの武将が西軍の味方につかない。秀吉の親戚であるはずの小早川秀秋も挙動が怪しい。「なぜだ、我ら西軍に正義があるはず。わしに人望がないのか(その通り)」と嘆く石田三成。その後ろにぬっと立った男がいる。振り返ると、そこに黒田官兵衛。「黒田殿。なぜここに」冷えた声で言う、三成。彼は九州にいるはずだ。息子の長政が家康についていることは皆知っている。 

 官兵衛は言う。「三成、お前では家康には勝てぬ」はっとする三成。「黒田殿なら勝てると」黙って頷く官兵衛。「お前次第だ、三成」

「黒田殿、わしは勝ちたい、豊臣家のために!」土下座する三成。

・・・いたずらに自尊心の高いこの男が土下座までするとはな・・・。秀吉様への忠義だけは汲み取ってやらねばならん。

「わが息子、長政がすでに動いておる。万事ぬかりない」 

*                  *                  * 

東軍の陣屋。

黒田長政徳川家康に言上している。「小早川秀秋殿の調略整いましてござる」

家康が念を押す。「秀秋の寝返り確かか」長政「確かにございます」

家康は満面の笑みを浮かべる。

 *                *                  *

 

 そして関ヶ原の戦い。西軍の意外の善戦にいらつく家康。「秀秋は何をやっている!秀秋の陣所に鉄砲を討ちこめ!」

 家康から鉄砲を撃ち込まれた秀秋、「黒田殿との約定どおり、今こそ家康に攻め込まん」と言って東軍に攻め込む。

 

 一気に西軍に形勢が傾く。

 

 日和見をしていた吉川広家、毛利秀元に「今こそ動かなくてどうするのです」と言われる。この絶好の機会に攻め込まなければ家康に内応していたことがばれてしまう。やむを得ず吉川広家も東軍に襲い掛かる。

 

 袋小路に東西から西軍に東軍は挟まれることになる。まさに包囲殲滅陣形。この陣形を取られた軍は十中九分九厘殲滅される、西軍にとっては必勝、東軍にとっては必敗の陣形である。

 

「長政は何をやっておるか!」と家康は叫ぶ。そこへ伝令が。

 

黒田長政殿。寝返り!」

 

 黒田長政の寝返りにより、中央の陣も崩壊し、持ちこたえていた軍も崩壊した。東西から挟み撃ちにあった東軍は崩壊し、名だたる武将は打ち取られた。家康も乱戦のうちに討死した。

 家康の最期の言葉は「官兵衛にしてやられたわ!」だったという。

 

 後世の人は、「なぜ、戦上手なはずの家康がこんな必敗の陣形をとってしまったのか、何か罠にかけられたのではないか、かのメッケルは関ヶ原の布陣を一目見てこの布陣は西軍の必勝と断言したというぞ(司馬遼太郎談)(小早川秀秋吉川広家は元々西軍で、このシチュエーションでは寝返り、日和見がなかったことに注意)」と噂した。 

 なあに、それは黒田官兵衛・長政親子のおかげなのですよ。黒田親子は関ヶ原で唐(から)の赤壁の戦いの再現をしたのですよ。黄蓋の偉業が偲ばれますなあ。

 

 石田三成は戦後、官兵衛に「さすがは官兵衛殿」と言ったという。

 

 正直、大河ドラマが史実無視のデタラメ過ぎるので、史実無視ならここまでフィクションでもいいんじゃないでしょうか。