古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

村上春樹作品における「悪」について-第4章 アーレントにおける「悪」の概念とは~村上春樹作品における「悪」の概念の変遷について

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第3章 『スプートニクの恋人』~「悪」は主要なテーマではない  に戻る 

 

村上春樹ねじまき鳥クロニクル』『アンダーグラウンド』『海辺のカフカ』『1Q84』、ドストエフスキー『悪霊』の言及があります。ご注意願います。)

 

 

 第1章 で掲げたインタビュー以外にも、村上春樹が「悪」について述べたインタビューがいくつかありますので下記に引用します。

 

 まず、村上春樹村上春樹編集長 少年カフカ』のインタビューより引用します。

 

「僕がこの先小説の中で書いていきたいと思うのは、やはり悪についてですね。悪というもののかたちやあり方を、いろんな角度から書いていきたい。ドストエフスキーの『悪霊』は小説のスケール、完成度としては『カラマーゾフの兄弟』ほど圧倒的ではないと僕は考えているんだけど、悪というものがさまざまなかたちをとって大地の底からじわじわとにじみ出てくる様子が、実にリアルに綿密に描かれている。そういうものを僕なりに腰を据えて書ければな、という思いはあります。

 

ねじまき鳥クロニクル』では綿谷ノボルとか皮剥ぎボリスといった悪の世界に属する人物が出てきます。彼らが表象する悪の領域みたいな場所も出てくる。でも今度は象徴的であると同時に、細部的にリアルでもある悪みたいなものを書いてみたい気持ちはあります。結局のところ、多くの場合、悪というのはそれ自体で自立したものじゃないんだよね。それは卑しさとか、臆病さとか、想像力のなさとか、そういう資質に連結したものなんだ。『悪霊』を読むとそういうことがよくわかります。ささやかなネガティブの集積の上に巨大な悪がある。」(*1)

 

 次に、村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』より引用します。

 

「(前略)(筆者注:オウム真理教の事件に関して)やはり、「麻原」という一種の密閉された宇宙の中で何が起こったかというのは、見ていくとものすごく怖いですね。今でも被告の実行犯たちの裁判をできるだけ聞いているけど、あのときに起こったことというのは、彼らの中ではまだぜんぜん解消されていないですね。それぐらい強烈な体験だったんです。一種の暗闇を全部「麻原」に譲り渡しちゃったというか、一つの暗闇になっちゃったんですね、みんなが。「麻原」という、あの人はかなり巨大な暗闇を抱えた人だと思うけど、そこに吸収合併されたというか、一種の同根状態になってるから、それは本当に語られる話を聞いているだけで怖いです。暗闇の中にある悪の力というものが染み出してくる。いくら希求するものが善であったとしても、暗闇の同根状態から生まれ出てくるものは、善悪を超えているというか、とても危険なものなんです。動機が善なるものであるだけに、何が悪であり得るかという検証システムを欠くことになります。そしてそこに生まれる悪というのはものすごく大きなもので、あらゆるものを焼き払うぐらい強烈なものなんです。そういうものを目の前にすると、一種の無力感におそわれるということはあります。本当はそれを解消していくべき外なる世界がどうなっているかというのは、これは難しい問題ですね。(後略)」(初出「文學界 2003年4月号」)(*2)

 

 前掲書に掲載されている、他のインタビューも引用します。

 

「(前略)『アンダーグラウンド』においては、言うまでもなく教団のグルである麻原が悪しき存在です。純粋な悪と言ってしまっていいかもしれない。彼は多数の人間を破滅に導きました・・・・・・なんだかよくわからない目的のために。彼が悪そのものなのか、あるいはただ悪しきものを精神に抱いている普通の人なのか、それは僕にはわかりません。とにかく彼はここにあるシステムを、社会体制を破壊しようと試みました。屈曲した、正しからざる存在です。彼は自らの中に暗黒と、大きな虚無を抱え込んでいた。僕は『アンダーグラウンド』を書きながら、その悪なるものの存在を感じ続けていました。それはある意味、恐ろしい体験だった。『アンダーグラウンド』が刊行されたあとも、その悪はいったいどのようなものだったのか、知りたいと思いました。麻原はもちろんきわめて特殊な存在です。どう見ても狂った精神を持っています。しかし我々自身の中にも、やはり狂気や、正常ならざるものや、不適当なものはあるかもしれません。僕は自分の暗闇の中に存在するかもしれないそのようなものを、もっとよく見てみたいと感じました。僕が『アンダーグラウンド』のあとにやっているのは、そのような作業だと思います。(後略)」(初出「THE GEORGIA REVIEW 2005年秋号(アメリカ)」(*3)

 

 上記のように、後期村上春樹作品の大きなテーマが「悪」だということを示していますが、このインタビューの中でも「悪」についていろいろな見方をしていることがうかがわれます。

 

(*1)では、「ささやかなネガティブの集積の上に巨大な悪がある。」という発言があり、この見解が後の『1Q84』の「リトル・ピープル」の概念に繋がっていくのだと思われます。

(*2)では、「暗闇の同根状態」という言葉を使っています。この見解も「リトル・ピープル」の概念に大きく影響を与えていると思われます。

(*3)では、オウム真理教の麻原について、「純粋な悪、と言ってしまっていいかもしれない。」と言っていますがその後で、「彼が悪そのものなのか、あるいはただ悪しきものを精神に抱いている普通の人なのか、それは僕にはわかりません。」と言うなど、麻原の「悪」についての見解がまだ定まっていない心情を吐露しています。

 

 筆者の以前の書評では、『1Q84』の「リトル・ピープル」も『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』に続く(ユング心理学的な)「根源的な悪」の一種であると考え、そのように考察したのですが、上記のインタビューを考慮し再度考察してみた結果、村上春樹作品での「悪」は全作品一定のものではなく、変遷している可能性があると考えました。その事について以下に述べます。

 

 まず、村上春樹作品における「悪」の概念の構築には、まずユング河合隼雄)心理学が根底にあることは既に述べました。この「悪」の概念の流れ自体は、おそらく後期村上春樹全作品に通底しています。

 

 しかし、オウム真理教事件の衝撃により、その「悪」の解明のために、アーレントの思想、概念を取り入れて村上春樹の作品が書かれている可能性について考えてみる必要があります。そして、アーレント的な「悪」の概念の影響が最も強いのが『1Q84』だと考えられます。

 

 なぜ、このように考えたかというと第一には『海辺のカフカ』の作中にアーレントの論考を示唆する箇所が散見されるからです。実際には『海辺のカフカ』では、アーレントの「悪」の概念はメインにはなっていません(これについては第5章で詳述します)が、その後の作品(具体的には『1Q84年』)に、アーレントの「悪」の概念が影響を与えているのではないかと思われます。

 第二には、アーレントの手紙に書かれた「それは表面を覆う菌のように広がるがゆえに、全世界にはびこり、それを荒廃させるのです。」(*5)という「陳腐(凡庸)な悪」の概念は『1Q84』の「リトル・ピープル」の概念を想起させるものがあります。

 第三には、2014年11月3日付毎日新聞のインタビューで、村上春樹が「孤絶」という言葉を使っているからです。「孤絶」というのは、アーレントの哲学の用語です。もちろん、孤絶という言葉には普通の使い方(「孤絶した島」とか)ありますが、文脈上はアーレントの哲学の用語として使われていると見て間違いないと思われます。この事は近年、村上春樹アーレントの著作に大きな関心を寄せていることがうかがわれます。(このインタビューについては第9章で詳述します。)

 

 なぜ、アーレントの著作・論考に村上春樹が接近したかというと、アーレントが『全体主義の起源』等で「全体主義体制」を詳細に解明した政治哲学者だからです。オウム真理教のようなカルト宗教団体の体制と『全体主義体制』は非常に酷似しています。

 つまり、現代的視点としてアーレントを読み直す場合、「全体主義」というのは国家の「全体主義」だけではなく、オウム真理教のようなカルト宗教、原理主義的過激派組織、排外主義組織等広範なものとしてとらえ直す必要があるということです。オウム真理教の起こした「悪」を解明するためには、アーレントの「全体主義体制」を解明した著作は重要なものであると村上春樹は考えたのだと思われます。

 

 それでは、アーレントによる「悪」の概念を紹介したいと思います。

 

 アーレントは、その著作である『全体主義の起源』の中で「根源的な悪」という概念を出しています。この「根源的な悪(根源悪)」という概念は、元々はカントが『単なる理性の限界内における宗教(『宗教論』)』で述べた概念です。

 

 ただし、カントの「根源的な悪」の概念について説明しようとすると、それで一本論文を書かなければいけませんし、村上春樹作品に大きく関係しているのは、アーレントの「悪」の概念の方かと思われますので、アーレントの「根源的な悪」の説明のみいたします。また、カントの述べる「根源的な悪」とアーレントの「根源的な悪」は微妙に異なるようです。

 

 以下に、アーレントの『全体主義の起源』より「根源的な悪」の説明について引用します。

 

「〔(前略)現在までのところ、すべては可能であるという全体主義の信念は、すべてのものは破壊され得るということだけしか証明して来なかったように見える。けれども、すべてが可能であることを証明しようとするその努力のなかで全体主義体制は、人間が罰することも赦すこともできない犯罪が存在するという事実をそれとは知らずにあばきだした。不可能なことが可能にされたとき、それは罰することも赦すこともできない絶対の悪になった。この悪は、利己主義や貪慾や利慾や怨恨や権力慾や怯懦のような悪い動機をもってしてはもはや理解することも説明することもできまい。それ故また怒りをもってこれに報復することも、愛によってこれを忍ぶことも、友情によってこれを赦すこともできまい。死の工場に、あるいは永遠に開かぬ地下牢に投げ込まれた犠牲者たちが、刑吏たちの目にはもはや〈人間的〉と見えなかったのとまったく同様に、この最も新しい種類の犯罪者は人類が共通に担う罪業というものの枠をすら超えている。〕

 われわれが根源的な悪 Das radikale Böseというものを理解することができないのは古代以来のわれわれの哲学の伝統のせいである。そしてこのことは、サタンすら天上から来たものとして認めたキリスト教神学にも、一つの新しい言葉(筆者注:「根源的な悪」という言葉のこと。前述した通りカントの作った用語です。)を作り出したことによって悪の存在をすくなくとも予感したものと見られる――ただし、彼はこの予感を、倒錯した悪意という概念を持ち出してたちまち動機によって理解し得るものに合理化してしまったのだが――唯一の哲学者であるカントにもあてはまる。だからわれわれがあらゆる尺度をぶちこわしてしまうような途方もない現実のなかで直面するものを理解しようとしても、拠りどころとすべきものは実際ないのである。ただここで次の一事だけはあきらかなように思える。つまり、この根源的な悪が、そのなかではすべての人間がひとしなみに無用になるような一つのシステムとの関係においてあらわれて来るということだけはわれわれも確認し得るのだ。全体主義的権力の持主たちは他のすべての人間とまったく同様に自分自身も無用であることを信じているし、また全体主義の刑吏たちがあのように危険であるのは、単に生きようが死のうがかまわないというだけではなく、この世に生れて来ても来なくても自分には同じだったと彼らが思っているからである。(後略)」(*6)

 

 つまり、アーレントの言う「根源的な悪」とは、伝統的な哲学ではその理由をもはや解明できない「悪」、不可能なことが可能になった(第二次世界大戦まで、「ある民族」を絶滅させる「ためだけ」を理由として、特定の民族を強制収容し、機械的に虐殺するという行為は、想像することもできない事態でした。「不可能」というのは「想像することもできない」という意味です。)まったく新しい犯罪である「ホロコースト」を指します。そして、その不可能なことを可能にした「根源的な悪」を生み出したのが、「全体主義体制」でした。

 

 なぜ、「全体主義体制」は、「根源的な悪」を行わせることを可能にしたのか。矢野久美子『ハンナ・アーレント「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』より引用します。

 

「全体的支配は、人間の人格や尊厳をすべて破壊し、無限に多様な人びとを交換可能な「塊」にした。全体主義はその首尾一貫性を維持するために、多様な人間たちを「余計者」にしたのである。その「根源悪」は、罰することも赦すこともできない「新しい犯罪」であった。アーレントはそうした「悪」が現代でも生き残りうると警告した。」(*7)

 

 全体主義によって(あるいは全体主義が発生する以前から)、社会から交換可能な「塊」、「余計者」とされた「孤絶」した人間は、個人の人格や尊厳がすべて破壊され、人と人との繋がりも失い、自らの意思も失い、「全体主義」の意思にただ同調することしかできなくなります。そして、人々は「全体主義」の「独裁者」の「根源的な悪」に呑み込まれ、「全体主義体制」を熱狂的に支持し、盲目的に従い、与えられた敵を「憎悪」し、「排撃」するだけの存在になるのです。

 

 しかし、『イェルサレムアイヒマン』が書かれた1963年、上記のアーレントの「根源的な悪」への考えは変化します。以下に『イェルサレムアイヒマン』が書かれた経緯についての説明をします。

 

(『イェルサレムアイヒマン』が書かれた経緯の説明は、矢野久美子『ハンナ・アーレント「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』を参考にしました。)

 

 1960年、元ナチスの官僚であり、ユダヤ人の強制収容所絶滅収容所への移送の指揮を取ったアドルフ・アイヒマンが潜伏先のアルゼンチンのブエノスアイレスイスラエル諜報機関に逮捕され、イェルサレムに連行され裁判にかけられることになりました。ユダヤ人であり、ナチスによる迫害で自身もドイツから亡命を余儀なくされたアーレントはこの裁判に強い関心を抱きイェルサレムに向かい、裁判を取材しました。その取材報告が雑誌『ニューヨーカー』に5回に分けて掲載されます。これが、『イェルサレムアイヒマン』です。

 

 アーレントは『イェルサレムアイヒマン』の中で「悪の陳腐(凡庸)さ」という概念を出すようになり、『全体主義の起源』で記述した「根源的な悪」の概念を捨て去ります。

 

 以下、小山花子「美学観察者としてのハンナ・アーレントイェルサレムアイヒマンを中心に」(『一橋論叢』)より引用します。

 

「『イェルサレムアイヒマン』刊行と同年の一九六三年にショーレムとの間で交わされた書簡において、アーレントは次のように述べている。

 

 私は考えを変え、もはや「根源悪」については語っていません。・・・・・・現在の私の意見というのは、悪は決して「根源的」ではなく、極端なだけで、深遠さも悪魔的な次元も備えていないというものです。それは表面を覆う菌のように広がるがゆえに、全世界にはびこり、それを荒廃させるのです。それは、私が言ったように、「思考を拒む」(thought-defying) ものです。というのは、思考は深遠に達し、根源にさかのぼろうとしますが、それが悪と出会ったとき、それは挫折するのです。――そこに何もないがゆえに。それが悪の「陳腐さ」です。善だけが深みを持ち、根源的でありうるのです。」(*8)

 

 ところが、この『イェルサレムアイヒマン』は掲載直後から、激しい非難を浴びることになります。批判は主に3つの点に向けられています。第一は、ユダヤ評議会が移送ユダヤ人のリストを作成するなどナチスに協力したことにふれた点です。第二は、ドイツ人の対ナチ抵抗運動は、ユダヤ人への関心や道徳的な怒りから出たものではなく、ヒットラーが戦争の準備をしている事実からであると指摘した点です。第三は、アイヒマンを怪物的な悪の権化ではなく、思考の欠如した凡庸な男と叙述し、アイヒマンの起こした悪について「悪の陳腐(凡庸)さ」という形容で表現したためです。

 

 このアーレントの見解は、犯罪者アイヒマンの責任を軽くし、抵抗運動の価値を貶め、ユダヤ人を共犯者に仕立て上げようとしている、と激しく批判されることになります。

 

 アーレントの「悪の陳腐(凡庸)さ」の概念は、周囲の多くの誤解と批判を呼ぶものでした。

 これは、周囲の人々が彼女の論考を誤解したことによるものだと解説されることが多いですが、誤解される原因は彼女自身にもあったかと思われます。リチャード・J.バーンスタインは『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』で以下のように述べています。

 

「(前略)この概念(筆者注:「悪の陳腐(凡庸)さ」)がかくも(騒々しい誤解も含んだ)多くの論争を生み出した一つの理由は、アーレントナチスの悪の「本質」を定義しようとしていると理解(誤解)されたことである。そのように誤解されたことに対する責任の一端は彼女にある。悪の陳腐さの「事実的」現象と彼女が呼ぶものはナチスの数ある悪行の一つの様相にすぎないと、もしも彼女がもっと明確かつ力強く言明していたならば、論争は避けられたかもしれない。この言明は悪の本質を特徴づけるテーゼではない。多くの批判に応答する際、アーレントはこの言明の要点を明確にしようと試みた。「悪の陳腐さ」という表現がヒトラーおよび彼以外のナチス幹部を記述するのに適切でないことを彼女は重々承知していたし、言うまでもなく多くのナチス党員によるサディスティックな蛮行と性急な反ユダヤ主義に対して確かにナイーヴであったわけでもない。悪に関する理論ないし一般的なテーゼを有することさえ、アーレントは拒否した。(後略)」(*9)

 

 また、以下のようにも述べています。

 

「(前略)根源悪は悪の陳腐さと両立可能である。私は根源悪をめぐるハンナ・アーレント省察の一つの側面――考え方の一つの手順――に焦点を合わせたい。万人を等しく余計なものとみなし、人間を人間的な余計さとするシステムとの関連で根源悪が発生したと、アーレントは断言した。(中略)「根源悪」という表現は、この全面的支配という悪を特徴づけるものは何かを示すことを目論んでいる。とはいえ、根源悪という概念(それ自体)は、根源悪を犯した者の動機や意図について何も語ってはくれない。アーレントが悪の陳腐さという概念を導入したとき、彼女の第一の関心は意図と――とりわけアドルフ・アイヒマンの――動機であった。すでに論じたように、根源悪の概念にとって代わるというより、悪の陳腐さはそれを前提するのである。

 悪の陳腐さに語る際、われわれはアーレントよりも注意深くならなければならない。悪の陳腐さは――アイヒマンのような事務的な殺人者という――根源悪を犯した幾人だけがその実例となった現象である。(後略)」(*10)

 

 アーレントが「悪の陳腐(凡庸)さ」で語りたかった「悪」とは、怪物的な人間ではなく、「普通の、凡庸な」人間が、組織に盲目的に服従することに喜びを見いだし、自分自身で考え判断する能力と想像力を失い、組織の命令に言われるがままに悪をなすという、「悪」です。

 

 普通の凡庸な人間(『イェルサレムアイヒマン』でいえば、アイヒマン)がなぜ、巨悪を引き起こすのか?という問いには「悪の陳腐(凡庸)さ」は有効なのですが、ではその「悪」をなさせる人間(『イェルサレムアイヒマン』でいえば、ヒットラー)の「悪」は何なのか?という問いに答えるものではありません。「悪の陳腐(凡庸)さ」は、「悪」の一側面ではありますが、「悪」全てにあてはめられる「理論」ではありません。

 

 オウム真理教サリン事件を考える時に、オウム信者の実行犯がなぜ、教祖である麻原の命令に従いサリンをまくという「悪」を行ったかの説明として「悪の陳腐(凡庸)さ」の概念は有効ですが、彼らに「悪」をなさせた教祖の麻原の「悪」の説明としては、アーレントの「悪の陳腐(凡庸)さ」の概念は不十分と言わざるをえません。

「悪」に対する問いにおいて、「悪の陳腐(凡庸)さ」の概念は「悪」の全てを解明できる概念ではなく、「悪」への問いかけのはじまりの地点に立つための概念といえるでしょう。

 

 次章では、『海辺のカフカ』の「悪」の概念について考察します。

 

第5章 『海辺のカフカ』の「悪」について  に進む

 

  注

(*1)村上春樹 2003年、p34~35

(*2)村上春樹 2012年、p125

(*3)村上春樹 2012年、p359~360

(*4)村上春樹 2012年、p359~360

(*5)小山花子 2005年、p160

(*6)ハナ・アーレント 1974年、p265~266

(*7)矢野久美子 2014年、p127

(*8)小山花子 2005年、p160

(*9)リチャード・J・バーンスタイン 2013年、p359

(*10)リチャード・J・バーンスタイン 2013年、p366~367

 

参考文献

A・サミュエルズ、B・ショーター、F・プラウト(山中康裕監修、濱野清志・垂谷茂弘訳)『ユング心理学辞典』創元社、1993年

大場登・森さち子『精神分析ユング心理学』NHK出版、2011年

河合隼雄『影の現象学講談社学術文庫、1987年

河合隼雄村上春樹村上春樹河合隼雄に会いにいく』岩波書店、1996年

小山花子「美学観察者としてのハンナ・アーレント:『イェルサレムアイヒマン』を中心に」(『一橋論叢 134(2)、2005年』)

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/15543/1/ronso1340200890.pdf

ジョージ・オーウェル高橋和久訳)『一九八四年[新訳版]』ハヤカワepi文庫、2009年

ドストエフスキー江川卓訳)『悪霊』(上・下)新潮文庫、1971年

ハナ・アーレント(大久保和郎・大島かおり共訳)『全体主義の起源 3 全体主義みすず書房、1974年

林道義『人と思想 59 ユング清水書院、1980年

村上春樹ねじまき鳥クロニクル』(第1部・第2部)新潮社、1994年

村上春樹ねじまき鳥クロニクル』(第3部)新潮社、1995年

村上春樹スプートニクの恋人講談社、1999年

村上春樹海辺のカフカ』(上・下)新潮社、2002年

村上春樹村上春樹編集長 少年カフカ』新潮社、2003年

村上春樹アフターダーク講談社、2004年

村上春樹1Q84』(BOOK1、BOOK2)新潮社、2009年

村上春樹1Q84』(BOOK3)新潮社、2010年

村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』文春文庫、2012年

村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年文藝春秋、2013年

村上春樹『女のいない男たち』文藝春秋、2014年

森川精一「『全体主義の起源について』――五○年代のアーレント政治思想の展開と転回」(『政治思想研究』2008年5月/第8号)

矢野久美子『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』中公新書、2014年

リチャード・J.バーンスタイン(阿部ふく子・後藤正英・齋藤直樹・菅原潤・田口茂訳)『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』法政大学出版局、2013年