古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

大河ドラマ 『真田丸』 第26話 「瓜売」 感想

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※前回の感想です。↓

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 今回はくだらない回でした。いや、わざとくだらなく書いているのは分かるんですよ。(これについては後で書きます。)

 

 さて、今回から「唐入り」が始まります。

 

 秀吉が「唐入り」をすることを聞いて、秀吉の正気を疑う大谷吉継ですが、以前の回(九州攻めの前に)で吉継は「唐入り」のことを言及していませんでしたっけ。なんで今、初めて聞いたような態度なんでしょうか?うーん、三谷さんはちょっと前に自分で書いた脚本をもう忘れているのでしょうか。

 

 三成は三成で、特に「唐入り」に反対することもなく淡々としています。前に三成が「北条攻め」にあれだけ反対(史料には無い)したのは、てっきり三成が「唐入り」に反対する前フリだと思っていましたが、特にそんなことはなかったようです。

 しかし、(史料には無い)北条攻めに反対する三成を描いたかと思ったら、(史料にはある)三成の「唐入り」反対を描かないというのも、本当にこの脚本は何を書きたいのかさっぱり分かりません。史実はおろか連続ドラマ内での整合性すらなく、行き当たりばったりでその都度フィクションを書いているだけだということがよく分かります。

 

 ネットで感想を見ますと、「唐入り」の際にも秀吉は「耄碌」しておらず、正気で頭脳は明晰だったという描写が新鮮だった、という感想もよくありました。

 

 筆者としては、当時の秀吉の書状や行動を見る限り、死の直前まで秀吉は明晰な頭脳を失っていない、つまり「認知症」や昔でいう「狐憑き」のような精神的な病にかかったような意味で「耄碌」した訳ではない、というのは賛成です。

 

 しかし、「耄碌」という言葉にはふたつの意味がある訳で、ひとつは文字通り精神的な病や認知症などで「耄碌」するという意味、もうひとつは比喩的な意味です。

 

 例えば、かつて無一文から身を起こして一代で大会社を築きあげた創業者が、歳を取ってから社運をかけて新事業に挑み、大失敗して会社を危うくするようなことがあります。その創業者自体は病気でもなく、頭脳も衰えていないつもりで、実際にも頭脳は昔と変わらず明晰なのですが、いつの間にか自分のやり方がまるで通用しなくなっているのにも関わらず、昔ながらのやり方で新事業に挑み、そして大失敗するのです。

 これを見た周りの人達は「あの社長も『耄碌』したか」と噂します。

 

 秀吉が「耄碌」したという場合、本当に「耄碌」したという意味で使ったり、ドラマにされたりすることも確かに多いですし、今回のドラマで安易にそのように描いていないのは陳腐でなくてよいのかもしれませんが、比喩的な意味では、やはり秀吉は「耄碌」していたのだと思うのですよ。

 

 このドラマで、秀吉は「唐入り」の動機を「対外的に戦をして、武士たちに働く場を与えれば、彼らは戦争で疲れ果てて、反乱など起こそうとしなくなるだろう」と信繫に説明して、信繫はあっさりその説明に納得してしまいますが、これ本当にそうでしょうか?

 

 もちろん、現代の我々は「唐入り」の散々な失敗を知っている訳ですから、何を言っても後講釈になってしまいますが、実際大軍が外国に行って国内に軍勢がほとんど空になる訳ですから、むしろ豊臣政権に不満で反乱起こす方としては、チャンスになるのではないでしょうか。(実際に「唐入り」に反発する勢力が、九州で梅北一揆など起こしていますが、これは散発的なものですぐに鎮圧されました。)まあ、正規軍がほとんど名護屋か朝鮮に集結している以上、残った者は、ほとんどがあぶれ者になるでしょうから、実際に反乱が起こってもたいしたことにはならないと思いがちですが、ここに秀吉政権に反対する結集軸が現れると、あっという間に大反乱に飛び火します。

 

 秀次の粛清劇では、「秀吉の秀次粛清は秀吉の言いがかりだ。秀次に反乱の意図は無かった」という意見が多いです。確かに、秀次に反乱の意図はなかったでしょう。しかし、秀吉にとっては、秀次自身に反乱する意図が無かったとしても、誰かが秀次を担ぎ出す、あるいは勝手に旗頭にして反乱を起こす、そうなると秀次自身の意思に関わらず、それはあっと言う間に、一気に秀吉政権を転覆する大反乱に繋がりかねないと本気で怯えていたのです。これほどの秀吉政権への怨嗟が起こったのは長引く「唐入り」による疲弊への、民から大名に至るまでの秀吉政権への恨み・怒りに他なりません。

 

 つまりは、「唐入り」で「反乱など起こそうなどしなくなる」ことを秀吉が目的としたのだとしたら、実際にはまるきり正反対の効果を生んでいる訳で、やはり秀吉のやっていることは「愚行」としか言いようがありません。

 

 やっている事が「戦争」である以上、やるならば勝たねばならず、勝たなければ秀吉政権は崩壊の危機になるのは当然です。もし秀吉が本気で勝敗のことなど何も考えず、ただただ武士たちに仕事を与えて疲れさせれば反乱をする気がなくなるだろうという動機だったとしたら、やはり秀吉は「耄碌」したとしか言いようがないでしょう。

 

 結局、秀吉はもちろんこの戦、「勝つ気」でいたのです。これは、おそらく相手の国(明・朝鮮)の国力の過小評価によるものです。この時代の秀吉の言動を追っていくと、秀吉は朝鮮の国力を琉球程度、明国の国力を日本全国程度にしか考えていなかったのではないかと思います。(比較はこの頃の秀吉の言動から見た筆者の私見にすぎませんので、「ソースは?」とか聞かないでくださいね。)よくこの頃の秀吉を誇大妄想といいますが、誇大妄想というよりは、相手を(非現実的なレベルで)過小評価していたのではないかと思われます。また、「異国」に攻めるという感覚ではなく、日本国内を攻める延長上で攻めている感覚のようです。

 日本国内で戦争するロジックで勝てると本気で秀吉は思っていたのです。異国と戦争するのは全然戦争のルールが変わってくるのに、日本国内の戦争のルールで通用すると思っている時点で、もはやそのやり方ではやっていけないのは自明でした。やはり秀吉は(比喩的な意味で)「耄碌」していました。

 

 この「唐入り」、三成をはじめとしてまともな人物は、皆反対していました。まともに思考すれば成功する確率は全くないに等しい、無謀なプロジェクトだったからです。それを押し切って秀吉は戦争をはじめます。こういう「愚行」は「愚行」、「失敗」は「失敗」、「耄碌」は「耄碌」ときちんと評価すべきです。

 

 さて、仮装パーティIN名護屋です。(仮装パーティ自体は史実です。)この仮装パーティの描写が実にくだらないのですが、前述した通りこれはわざとでしょう。ここで脚本家が描きたいのは「朝鮮出兵の前線で兵が苦戦する中、名護屋では秀吉主催のばかげた仮装パーティをやっている。豊臣の滅亡は近い」という感じでしょうか。おおまじめに仮装をやろうとすればするほど、ばかばかしさも増幅するというものです。

 

 しかし、ドラマなのですから、その「唐入り」の前線の様子をちゃんと「絵」にして描かないと、コントラストにならないのではないでしょうか。清正が、伝令の報告受けて怒鳴っているシーンだけではしょっているのは、明らかに手抜きで対比になっていません。なんか諸事情があるのか知りませんが、これは演出としてダメダメでしょう。

 

 というか、なぜに昌幸は瓜売にこだわるのでしょう。どうせくだらん仮装パーティなんですから、そんなもの太閤に譲ればよい話です。本当にくだらない。(細かいところですが、生まれついての武士で、おそらく行商人などやったことがない昌幸より、若い頃行商人をやっていたとされる秀吉の方が瓜売の真似は普通に考えてうまいはずでしょう。これもちょっと無理があります。)

 

 そして、佐助・・・・・・。そんなことで、泣くんじゃねえ!!本当にくだらん。いやわざと描いているのは分かりますが、こんなくだらんことに昌幸、昌相、佐助を巻き込むのをやめてほしいです。(昌幸パパは、最早このドラマではそういうキャラとなってしまっているので、もうあきらめていますが。)

 

 全然関係ないですが、なんで且元は猿回しやっているのでしょうか。(これもコントなんでしょうけど。)昌幸の瓜売かぶりより余程命がけのような気がしますが・・・・・。

 

 秀吉の母のなかが亡くなったのをセリフで流したのも、なんか力の配分を間違えているような気がしますね。秀吉が真田一家をあっさり信濃に戻すのを許す伏線に使われている訳ですから、こういう描写こそ尺を使えばという気になります。

 

 とりのナレ死フラグカットは、まあどうでもいいです。(他の方の感想に任せます。)

 

※次回の感想です。↓

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