古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

三国志 考察 その12 後漢の宦官は必要悪(2)

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 三国志 考察 その11 後漢の宦官は必要悪(1)のつづきです。

 

2.安帝(第6代皇帝)~順帝(第8代皇帝)時代

 

 和帝の死後、和帝の子隆が、第5代皇帝殤帝としてわずか生後100日で即位します。長男の勝は病気を理由に即位を見送られました。しかし、翌年には殤帝は病気で崩御してしまいます。

 

 殤帝の後の帝として立てられたのは、和帝の腹違いの兄である清河王慶の息子祜でした。これが第6代皇帝安帝です。この時安帝13歳。和帝皇后の鄧氏が皇太后となり、実権は外戚の鄧氏一族が握ることになります。

 

 しかし、鄧太后は賢婦人として名高く、質素倹約に努め、鄧太后の兄の鄧騭も封爵を辞退するなど後漢の他の外戚に比べると謙虚に振る舞っていました。また楊震等高名な儒者の起用に努めます。

 

 このように鄧太后の摂政は善政に努めていましたが、一方で政令太后のいる後宮から出されることになります。後宮は男人禁制であるため三公以下の官僚も入ることができません。このため(男人とはされない)宦官が宮中と政府の連絡役として大きな力を握ることになります。そして、このことは「結果的には宦官の発言権の固定化と、宦官の大幅な増員による勢力の強化をまねくことにな」(*1)りました。

 

 安帝が成人すると、やがて鄧氏一族の専制に不満を抱くようになります。本来は鄧太后は安帝の成人と同時に政権を返すべきでしたが、そうしなかったのは、当初聡明と期待した安帝には成長するにつれ非行が多くなり、政治的資質に大きな疑問がつけられためでした。このため、鄧太后は亡くなるまで安帝に政治を任せず、政治の実権を握ります。このことを安帝は深く恨みに思います。

 

 永寧2(121)年、鄧太后が亡くなると、安帝は鄧氏一族を政権から追放し、親政を行うことになります。安帝の時代には安帝皇后である閻氏の一族、乳母の王聖母子、宦官江京、李閏らが実権を握るようになります。

 

 そして、「彼らは乳母の王聖親子と結んで内外を煽動し、わがもの顔にふるまいだした。これらの宦官たちは、皇帝にかわって墓参りに行けば地方官や人民を苦しめ、また官物をよこながしして自らの豪壮な住宅をたて、あるいは同族を官吏にするようせまったりした。これに対して清流派の領袖であった宰相楊震は、彼らの要求をはねつけ、あるいはその非道をたしなめたりしたが、逆に職をやめさせられ、郷里にかえる途中で服毒自殺をし」(*2)ました。

 

 また、彼らは安帝の皇太子保を廃しようとします。保は、閻皇后の実子ではなく、宮女の李氏の子でした。嫉妬深い閻皇后は李氏を毒殺してしまいます。後の禍を恐れた皇后の一派は皇太子を陥れ、太子保はその地位を廃されてしまい済陰王となります。

 

 延光3(125)年、安帝が巡狩先で急死します。32歳でした。閻皇后一派は、従兄弟の北郷侯・劉懿を擁立し、閻皇后が皇太后として臨朝し、兄の閻顯が、車騎将軍として補佐する体制を敷きます。

 

 しかし、この北郷侯・劉懿もまた即位後200日程して病で亡くなります。閻太后の一派はこの事態を秘して喪を発せず、その間に諸国の王子を探して擁立しようと画策します。

 

 ここで、立ち上がったのが元皇太子・済陰王保付の宦官であった孫程ら19人でした。彼らは、閻太后に陥れられ、父の葬儀にも参列できなかった廃太子・済陰王保をあわれみ、済陰王の擁立のため決起します。十一月に都に地震があった夜、孫程らは立ち上がり、閻太后派の宦官江京らを斬ると、済陰王を即位させます。これが順帝です。

 閻顯兄弟は兵を率いて北宮に入りますが、尚書の郭鎮に撃退され、閻顯の弟景は斬られます。済陰王擁立のクーデターは成功し、閻顯兄弟は誅殺されます。

 

 自らの擁立に功のあった宦官たちに順帝は深く感謝し、後に宦官の養子を認め、封爵を世襲する事を許します。順帝のこの措置が、宦官の勢力を肥大化させ、その後、後漢の衰亡の大きな要因となります。

 

 ちなみに、曹操の祖父である曹騰は宦官ですが順帝の学友であり、四代の皇帝の側近くに仕え、宮中で高い地位を築いた人物です。この宦官の養子制度がなければ、宦官の孫である曹操という存在が世に出ることはなく、曹操曹丕親子が後漢を滅ぼすこともなかったかと思うと歴史の皮肉を感じます。

 

 三国志 考察 その13 後漢の宦官は必要悪(3)につづきます。

 

 注

(*1)三田村泰助 2012年、p135

(*2)三田村泰助 2012年、p137

 

参考文献

范曄編、李賢注、吉川忠夫訓注『後漢書 第2冊 本紀2』岩波書店、2002年

三田村泰助『宦官 側近政治の構造 改版』中公新書、2012年