2015-01-01から1年間の記事一覧
☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る 光成準治氏の「最初から家康は石田三成と仲が悪かったのか?」(「(渡邉大門編『家康伝説の嘘』柏書房、2015年所収)を読了しました。以下、感想及…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る (『三国志』の引用は、(陳寿著、裴松之注、井波律子訳『正史 三国志5 蜀書』ちくま学芸文庫、1993年)からです。) 以下は、渡邉義浩『儒教と中国 「二千年の正統思想」の起源』講談社選書メチエ、2010…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る (『三国志』の引用は、(陳寿著、裴松之注、井波律子訳『正史 三国志5 蜀書』ちくま学芸文庫、1993年)、『後漢書』の引用は范曄編、李賢注、吉川忠夫訓注『後漢書 第8冊 列伝六』岩波書店、2004年によ…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 前のエントリー(三国志 考察 その22 なぜ、何進・袁紹は董卓を召し寄せたのか?①)の続きです。 4.そして悲劇へ 外部の軍による脅迫にも関わらず、何太后はなお宦官誅滅の承諾を何進に与えませんでした。さら…
☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る 1.西軍の総大将は毛利輝元 前(考察・関ヶ原の合戦 其の一 はじめに)にも書きましたが、関ヶ原の戦いの西軍の総大将は形式的にも実質的にも、毛利…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る ☆前のエントリー(三国志 考察 その21 霊帝は暗君だったか?) (『三国志』の引用(*1~*6)はちくま学芸文庫版、『後漢書』(*7~*18)の引用は岩波書店版からです。) 1.中平六(189)年の何進…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 石井仁『魏の武帝曹操』新人物文庫、2010年のp90~99「霊帝の改革」の項を読んでの感想です。 後漢の霊帝の評判はすこぶる悪く、実質的に後漢を滅亡に追い込んだ暗君として批判されています。石井仁氏はこれに…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 前のエントリー(三国志 考察 その19 曹操の勝率は8割8分 )の続きです。 つづいて蜀の劉備の勝率について計算してみます。元にした資料は『三国志 蜀書 先主伝』です。以下、劉備が戦った戦いを列挙します。 …
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 三国志の魏の曹操の勝率はどのくらいか気になって計算してみました。元にした資料は『三国志 魏書 武帝紀』です。以下、曹操が戦った戦いを列挙します。 1 中平元(184年)黄巾の乱(長社の戦い) 朱雋・曹操○V…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 前のエントリー(三国志 考察 その17 曹操の清流派への転身②~許劭は曹操をどう評価したのか?)の続きです。 1.熹平3(174)年、孝廉に推挙される 曹操は熹平3(174)年、20歳で孝廉(任用資格のひ…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 前のエントリー(三国志 考察 その16 曹操の清流派への転身① )の続きです。許劭の曹操の人物評価は有名ですが、実は『三国志』注と『後漢書』では表現が違います。 まず、『三国志』注にある孫盛『異同雑語』を…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 以前のエントリー(三国志 考察 その14 曹操の祖父、曹騰の宮廷遊泳術 )で見てきたように、曹操の祖父の曹騰は4帝(順・沖・質・桓)に仕えました。また、梁冀と桓帝の擁立を画策するなど外戚の梁商・梁冀と結…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 前回のエントリー:三国志 考察 その14 曹操の祖父、曹騰の宮廷遊泳術 後漢の桓帝、霊帝の時期の政界を大きく揺るがせた事件として党錮の禁があります。 党錮の禁の概略について鶴間和幸『中国の歴史03 ファー…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 曹操の祖父である曹騰は宦官でした。順帝が皇太子の時に、当時の鄧太后が、曹騰を年が皇太子と年が近く謹厚であるため、皇太子の側近として仕えさせ太子の学友とします。太子も年の近い曹騰を親愛しました。これが…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 三国志 考察 その12 後漢の宦官は必要悪(2)のつづきです。 3.沖帝(第9代)~桓帝(第11代)時代 順帝の皇后は梁氏で、皇后の父の梁商が大将軍となり順帝を補佐します。梁商は謙虚な人物であり賢者を推…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 三国志 考察 その11 後漢の宦官は必要悪(1)のつづきです。 2.安帝(第6代皇帝)~順帝(第8代皇帝)時代 和帝の死後、和帝の子隆が、第5代皇帝殤帝としてわずか生後100日で即位します。長男の勝は病…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 後漢の歴史は外戚と宦官との闘争との歴史といってよいでしょう。そして、外戚と宦官の存在が後漢を滅ぼしたといわれます。 実際、最終的に外戚の曹丕によって後漢は滅ぼされることになります。三国志を知っている…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 三国志 考察 その7 黄巾の乱後の劉備の動向について③(劉備、徐州へ行く) の続きです。 特に指摘がなければ『三国志』「蜀書 先主伝」からの引用です。(参考文献は、(陳寿 裴松之注(井波律子 訳)『正史 三国…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 初平四(193)年、曹操は、父の曹嵩(ソウスウ)が徐州牧の陶謙の部下に殺されたことをきっかけに、徐州を攻めます。そこで、悪名高い徐州の軍民の大虐殺を行います。この徐州攻めの中で、曹操は各地で男女合わ…
☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 建安元(196)年、曹操は、許都の近辺に屯田を設けます。「これは主に流民を募集して、持ち主のない農地をあたえ、牛や農具を支給して、集団で農業に従事させて租税を納めさせるもので、許都での成功の後、さら…
☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る ちょっと今回はエッセイ風に書きます。 さて、タイトルの「石田三成にもう少し人望があれば・・・・・・」です。この意見はたまに見かけます。このタイトル…
☆総目次に戻る☆ 村上春樹の『国境の南、太陽の西』と、新海誠『秒速5センチメートル』ってなんか感じが似ているな。まあ、全然違う話なんだけど。 この辺、言及している人はもういるかもしれないけど。
☆総目次 に戻る☆ ☆本・漫画の書評・感想 目次 に戻る 岩明均『ヒストリエ』9巻(講談社)読みました。いや、これだけ最新巻を読める幸せをかみしめられる作品って他にないのではないでしょうか。 今回の圧巻はカロンとの再会ですね。エウメネスの前半生につ…
☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る 第1章~ 石田三成はなぜ嫌われまくるのか?に戻る 1.大徳寺古渓宗陳の筑前博多配流 (天正寺創建計画の経緯については、高野澄『新 京都の謎』PHP…
☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る ☆目次☆ 第2章~古渓宗陳を讒言により配流させた? 第3章~小早川秀秋左遷は、三成の讒言によるものではない 第4章~ 文禄の役における黒田官兵衛…
☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る 石田三成の最近の小説やゲームの描写を見ますと、「空気が読めない、意図せずして相手が腹を立てることを言ってしまう、態度が生意気・横柄(しかも…
☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る 1597年(慶長2年)に文禄の役の講和交渉の破綻により、豊臣秀吉は諸大名に朝鮮へ再出兵を命じます。1月に小西行長は通事の要時羅を朝鮮の慶尚右…
☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る 浅野幸長が能登へ配流されたのは、従来の通説では文禄四(1595)年の豊臣秀次切腹事件に連座したため(幸長の正室池田氏の姉が、豊臣秀次の側室だっ…
☆総目次 に戻る☆ ☆本・漫画の書評・感想 目次 に戻る ピエール・ルメートル(橘明美訳)『その女アレックス』文春文庫を読了しました。以下に感想を書きます。(以下完全ネタバレです。また、かなり批判的に書いていますので、そういうのは読みたくないとい…
西軍諸将と石田三成はだいたい何らかのつながりがあるのですが、立花宗茂との関係は、あまり一次史料に見られません。 私が持っている書籍ですと、文禄の役の時に三成が宗茂の軍功を賞する書状を出している事くらいしか見当たりませんでした。 小和田哲男「…