☆関連エントリ
考察というか、疑問という感じですが。
「漢代の民衆には飲酒には制限があり、「諸そ三人以上故なく群飲する者は罰金四両」という厳格な法律によって、三人以上の宴会での飲酒は禁止されていた。(中略)群飲が許されるのは国家的な慶事の場合であり、そのときには日数まで指定された。」(鶴間和幸『中国の歴史03 ファーストエンペラーの遺産 秦漢帝国』講談社)とのことです。
それで、思ったのですが、「桃園結義」ってやっぱりこの群飲禁止に反するのかな、と素朴な疑問が・・・・・・。
いや、「桃園結義」は『三国志演義』のフィクションだろ、というのはその通りなんですが、この話作った人(羅貫中は昔の話を組み合わせて『演義』を書いているので、彼のオリジナルとは限らない)は漢の群飲禁止は意識していたのか、していなかったのかと思ってしまうのですよ。
意識してなければ(あるいは「桃園結義」は群飲には当たらないとかだと)まあそこまでですけど、もし意識しているのだとすると「彼らは侠者だから法律は無視したのだ」とか「後漢末は世が乱れていたので法律が守られていなかったのだ」とかなんかのメッセージが込められているのだろうか、とか考えてしまうのですが、どうなんでしょうね・・・・・・・。