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古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

松寿丸(黒田長政)の匿い先についての疑問

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 天正6(1578)年10月伊丹・有岡城主の荒木村重織田信長に叛旗を翻します。秀吉は黒田官兵衛を村重の元に送り、官兵衛は翻意するように説得にあたりますが、村重は官兵衛を捕え幽閉します。信長は官兵衛が有岡城から戻ってこないのに不信感を抱き、官兵衛が村重に寝返ったのではないかと考えます。このため、怒った信長は人質としていた官兵衛の子、松寿丸(のちの長政)を殺すように秀吉に命じます。

 この時、秀吉家臣の竹中半兵衛が、信長の命令を無視して松寿丸を匿うという有名なエピソードがあります。

 この松寿丸の匿い先は、通説ですと「半兵衛の居城の美濃国菩提山城に匿った」ということなのですが、ネットを見ていると、一説として「半兵衛は石田三成の父、石田正継の元に匿わせた」という説があるようです。 

 この説の出典が、よく分かりません。検索すると、江宮隆之氏の『石田三成』学研M文庫が出てきますが、これは小説ですね・・・。

 研究書、史料で上記の説の出典を、もしご存じの方がおられましたら、教えていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。