古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

三国志 考察 その20 劉備の勝率は5割2分

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 前のエントリー(三国志 考察 その19 曹操の勝率は8割8分 )の続きです。

 つづいて蜀の劉備の勝率について計算してみます。元にした資料は『三国志 蜀書 先主伝』です。以下、劉備が戦った戦いを列挙します。

 

1 中平元(184年) 黄巾の乱(幽州の戦い?) 劉備○VS黄巾軍×

2 中平元(188年) 下邳の戦い 毌丘毅・劉備○VS黄巾残党×

3 初平三(192年)? 高唐の戦い 劉備×VS賊軍(黄巾残党?)○

 (『魏書 武帝紀』ですと相手は曹操になっています。)

4 興平元(194年) 徐州の戦い 陶謙劉備×VS曹操

5 建安元(196年) 盱胎・淮陰の戦い 劉備△VS袁術

6 建安元(196年) 徐州の戦い 劉備×VS呂布

7 建安元(196年)? 広陵の戦い 劉備×VS袁術○(『英雄記』)

8 建安元(196年) 小沛の戦い 劉備×VS呂布

9 建安二(197年) 徐州・揚州の戦い 劉備○VS揚奉・韓暹×

 (『先主伝』ですと、建安元(196年)ぽい流れなのですが、『三国志 人物事典』他、大部分の書籍の揚奉の没年は197年としているので、197年にしました。)       

10 建安三(198年) 徐州の戦い 劉備夏侯惇×VS高順(呂布軍)○

11 建安四(199年) 徐州の戦い 劉備○VS劉岱・王忠(曹操軍)×

12 建安五(200年) 徐州の戦い 劉備×VS曹操

13 建安五(200年) 延津の戦い 文醜劉備袁紹軍)×VS曹操

14 建安五(200年) 許周辺の戦い 劉備・劉辟(袁紹軍)×VS曹仁曹操軍)○

15 建安五(200年) 汝南の戦い 劉備・龔都(袁紹軍)○VS蔡陽(曹操軍)×

16 建安六(201年) 汝南の戦い 劉備袁紹軍)×VS曹操

17         博望の戦い 劉備劉表軍)○VS夏侯惇于禁曹操軍)×

18 建安十三(208年) 長板の戦い 劉備×VS曹操

19 建安十三(208年) 赤壁の戦い 孫権劉備○VS曹操×

20 建安十三(208年) 荊州南四郡の戦い 劉備○VS金旋等×

21 建安十七(212年) 涪城の戦い 劉備○VS劉璝等(劉璋軍)×

22 建安十九(214年) 雒城の戦い 劉備○VS劉循等(劉璋軍)×

23 建安十九(214年) 成都包囲戦 劉備○VS劉璋×

24 建安二十四(219年) 定軍山の戦い 劉備○VS夏侯淵曹操軍)×

25 建安二十四(219年) 漢中攻防戦 劉備○VS曹操×

26 章武二年(222年) 夷陵の戦い 劉備×VS陸遜孫権軍)○

 

数え方にもよるので、正確といえるかどうかは分かりませんが、上記を計算しますと、

26戦中 13勝12敗1分 勝率5割2分(引き分け除く)

 

 これを見て弱いと思うか、意外に強いと思うか・・・・・・。

 

 負け12敗のうち曹操軍6or7、呂布軍3、袁術軍1、孫権陸遜)軍1、賊軍0or1ですので、負けのほとんどは対曹操軍、対呂布軍ですね。対曹操軍でも曹操自身以外の軍には曹仁を除いて勝っています。これを見ると「曹操呂布にはかなわないが、その次くらいには強い」というのが当時の評価だったのではないでしょうか。

 

 参考文献

陳寿著、裴松之注、今鷹真、井波律子訳『正史 三国志1 魏書Ⅰ』ちくま学芸文庫、1992年

陳寿著、裴松之注、井波律子訳『正史 三国志5 蜀書』ちくま学芸文庫、1993年

陳寿著、裴松之注、小南一郎訳『正史 三国志8 呉書Ⅲ』ちくま学芸文庫、1993年

小出文彦監修『三国志 人物事典』新紀元社、1999年