古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

大河ドラマ 『真田丸』 第32話 「応酬」 感想

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※前回の感想です。↓

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真田丸」第32話『応酬』感想です。32回から新展開となり、人も増えて少しはマシになるかと期待したのですが(期待するなって?)・・・・・・

 

 思っていたのですが、NHKの朝の連続テレビ小説は、現実のモデルの人がいても架空の名前の人にして、「このドラマは実在のモデル・モチーフはいるけど、架空のドラマなんです」としているのに、なんで大河ドラマは同じようにしないんでしょう。これだけ、ファンタジードラマを展開しているのだから、朝の連続テレビ小説みたいに登場人物の名前も架空にすべきでしょう。そうすれば、史実とドラマを混同する人もだいぶ減るでしょう。NHKにおかれましては、是非次回から、そうしていただければと思います。

 

「いや、史実とドラマを混同する奴なんていないよ」という人もいますが、そんなことはないですよ。

 

 例えば朝の連続テレビ小説とと姉ちゃん』。主人公小橋常子さんのモチーフは『暮らしの手帳』を設立した大橋鎭子さんだというのは、NHKでも紹介しているように多くの人が知っているでしょう。そして、全然名前が違うにも関わらず「大橋鎭子さんの人生は、だいたいドラマの小橋常子さんの人生と同じだろう」と思っている人も多いです。かなり重要な部分も含めて、モチーフの方とドラマの主人公とは違う部分が多いのですが、わざわざ名前を変えても「だいたい同じ」と思ってしまう人はそれなりに多いのです。これが、ドラマで同一名にすれば、「だいたい同じ」どころではなく、シームレスに「こういう人物だったのだろう」と頭に刷り込まれてしまうので、本当に影響力はでかいのですよ。

 

 なので、せめて「これはフィクション」ということを示すためにも、NHKは朝の連続テレビ小説の例にならって、登場人物の名前を史実の人物の名前と変えるようにしていただきたいです。

 

 さて、本題に移ります。

 

 このブログでは、ドラマと史実との異同を書きますが、このドラマに史実らしきものは何ひとつないので、もう「全部フィクションです」でいいような気がします。

 

 前から書いていますが、フィクションだから批判している訳ではありません。脚本家が史実をねじまげて(あるいはそもそも史実に無知で)フィクションの筋書きを書いていて、その筋書きが面白くなく、はっきりいって「つまらない」「改悪」だから書いているのです。ただし、「面白い」「つまらない」というのは見る人の主観で、感想人それぞれですので、「いや、面白いよ」という人の感想も排除しません。が、史実とドラマを混同してほしくないな、と思って書いているんですね。

 

 あと、このレビューでこのドラマの人物の名前を史実の名前そのままに書くのも、かえって誤解を広げるので、ここでは略称を使います。略称は以下を参照願います。

 

【凡例】(史実の呼称=このエントリーでのドラマの登場人物の呼称(略称))

石田三成=三谷版石田三成(三三(さんざん))

加藤清正=三谷版加藤清正(三清(さんきよ))

細川忠興=三谷版細川忠興(三忠(さんちゅう))

前田利家=三谷版前田利家(三利(さんとし))

大谷吉継=三谷版大谷吉継(三吉(さんきち))

 

1.さて、史実の三成は8月18日の秀吉の死後に、9月には朝鮮出兵の兵の撤退作業のため博多に向かっています。そして12月24日頃に大坂に戻っています。だから、史実の三成はしばらく博多に行っており、ドラマの三三のように、秀吉死後の多数派工作とかいろいろやっている暇がそもそもないのです。

 

 というか、まさに家康の私婚問題というのは、三成と浅野長政が撤兵作業のため、博多に下向している隙を狙った行動でしょう。前回に三成(及び三三)が博多へ下向する前フリを三谷氏が書いたのは、普通にそういうことだと思ったのですが、おそらく時代考証担当の指摘を受けて脚本に書き足した意図を三谷氏が全く理解できなかったか、理解できても今更書き換えられない事情(役者の手配とか)が三谷氏及びNHKにあったのでしょう。

 

 だから、このドラマの三三が多数派工作のために酒宴をしたけど、ガラガラだったとか、三三が空気を読めず中座したとか、それを見て三忠が愛想をつかしたとかはファンタジーです。

 

 さて、ドラマの三三は、はじめは空気を読めない、頭のおかしいコミュ障キャラクター設定だったのですが、ここ数回は(主に秀吉から)信繫に害が及ばないようにフォローをしたりする普通に空気が読めるキャラクターになっていました。そりゃ、そうですね。空気を読みきれなければ即死の暴君秀吉の御側近くに長く仕えていて、空気が読めないコミュ障キャラクター三三では本当に何度も即死しているでしょう。さすがの三谷氏もドラマの展開上無理があると思ったのでしょう。(なら、そんな無理のある設定にはじめからするなという話ですが・・・・・)それで三三の「空気読めないコミュ障キャラ」はしばらく封印でした。

 

 それが秀吉の死とともに、このキャラクター封印は解除され、三三は、今回再び三谷設定の「空気の読めないコミュ障キャラクター」を演じ切ることになります。つまりは、三谷氏の脚本的には、三三が「空気の読めないコミュ障キャラクター」なので、周りの人望を集められず関ヶ原の戦いは負けた、という従来の俗説をなぞったキャラクター設定にしたということですね。

 

 だから、酒の場で三三が中座して三清と付き合わなかったから、仲が悪化したというファンタジーストーリーも酷過ぎるフィクションですが、そういう三谷設定なのだから、その設定上そうなるでしょう。この三谷ドラマは、三谷設定の非現実的な頭のおかしなキャラクターがたくさん出てきて、頭痛がしてきます。そういうのは現実の登場人物名を使わず、三谷氏のオリジナルフィクションドラマでやっていただきたいです。

 

2.そして三利が、既に死にかけのキャラクターとして、実質的に退場しています。史実では慶長四(1599)年1月、(この頃前田利家は確かに既に病だったようですが)「前田利家を含む」四大老五奉行は家康の私婚問題を詰問しています。このドラマの三吉の忠告の通り、この時点では三成はドラマのように家康の矢面に立っていません。史実では、前田派(家康以外の四大老五奉行)VS家康の対立として展開していきます。

 

 まとめます。三三が「空気の読めないコミュ障キャラクター」で人望がなく、それゆえ必然的に西軍が負けたという三谷さんの設定は、江戸時代に徳川(東軍)派が作った俗説通りですね。東軍の黒田官兵衛が主人公のドラマの『軍師官兵衛』なら、そういう展開でも仕方ないでしょう。しかし、西軍の信繫が主人公でありながら、結局徳川史観の俗説通りのストーリーを作り、更にそれを三谷オリジナル設定で上書きするというのが、三谷さんと時代考証担当さんが、このドラマで目指すところだったのですな。

 

 まあ、関ヶ原の戦いの終わりまでドラマは見届けますが、まあ今までの酷さからいってたいして期待できないでしょう。しかし、なんつーか、失望しました。関ヶ原の戦いの終わりとともに、このドラマの視聴もレビューも終了しようと思います。このドラマが始まった時には、これから『軍師官兵衛』より酷いレベルの戦国ドラマを見ることになるとは思いもよりませんでした。

 

※次回の感想です。↓

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