古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

大河ドラマ 『真田丸』 第22話 「裁定」 感想

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※前回の感想です。↓

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真田丸」第22話『裁定』感想です。

 

 第22回は、沼田を巡る三者の法廷劇がメインでした。今回はドラマとしては面白かったと思います。(しつこいようですが、この三者討論会はフィクションです。)こういった法廷ドラマを三流の脚本家が書くと、どうしようもない滅茶苦茶な理屈で展開して、見ている方が恥ずかしくなってくるのですが、さすがは三谷氏、沼田の歴史的経緯をそつなくまとめ(そつなくまとめたはずの片桐且元が、秀吉に怒鳴られ気の毒でした)、それぞれ(北条、真田)の論点も整理され、なかなか面白かったです。信繫も主人公補正でスーパー成歩堂くん展開になった訳でもなく、バランスが取れていました。

 

 今回のドラマの北条(板部岡江雪斎)の敗因は、徳川を味方に付けられなかったことですね。実際には、この三者の中で一番の悪(わる)は二枚舌外交をしている家康です。しかし、徳川はこの場の被告ではなく、第三者の証人の扱いです。江雪斎は真田を攻撃しているつもりで、この場の証人でどっちに味方につくかで勝負が決まってしまう徳川を攻撃してしまったのです。双方の起請文は裁判官たる豊臣方に渡ってしまっているのですから、吟味すれば、仮に本多正信が何を言おうと黙ろうと真実がおのずと明らかになってしまいます。正信は、豊臣方に吟味されて、徳川が不都合な事実を「隠している」と思われる前に、先に起請文に何が書いてあるのかばらしてしまいました。

 

 江雪斎は、この場で信繫を攻撃するつもりで、徳川にとって一番痛い弱点を突いてしまったのです。(本来はこの論点はスルーして、裁判官(豊臣方)の興味が向かないようにすべきでした。)こうなると、家康名代の正信は、徳川家を守るために自家の弁護に努めるしかありません。(これを、後で真田に恩を着せるかのような印象操作をする正信はさすがです。)

 

 結局、この裁判は江雪斎の勇み足、自爆ということになりますが、江雪斎が無能という訳ではありません。アホな脚本家ならば江雪斎の無能として、いかにも江雪斎が無能そうなセリフを吐かせて自爆させて結着させるところが、「いや、あれは仕方なかったね」と思わせる展開でしたので、なかなか白けることなく面白いドラマとなりました。

 

 今回、好感を抱いたのは、意外にも真田昌幸の描き方です。このドラマは不必要に(史実に反して)昌幸を貶すところがあり非常に不満でしたが、今回は良い点がいくつかありました。

 

 第一に、名胡桃城事件が秀吉と昌幸の陰謀によるものだという俗説がありますが、実際にはそんな都合のいい展開などある訳がなく、この説はありえないと私は思っています。しかし、青春編の「黒い策士」昌幸の描写では、そういった黒い(俗説的)展開があってもおかしくはないと思っていましたが、そういう嫌な展開にならなかったのは、非常に良かったです。家臣鈴木主永が切腹したのを聞いて、「名胡桃などくれてやればよかった」と昌幸が後悔する場面は、家臣思いの昌幸の意外な一面が垣間見えました。(いや、まさか名胡桃城事件をナレーションとCGマップでぶった切るとは思いませんでしたが。)

 

 第二に、自ら名胡桃城を取り返せず歯がゆい思いをして、出浦と酒を飲む画面です。ここら辺も「時代に取り残された昌幸」と思う人もいるかもしれませんが、今回のこのドラマの昌幸は、三成の説得に応じて沼田を明け渡し、名胡桃を取り戻そうとして息子の説得に応じて秀吉に謁見し、秀吉に「下がれ」と言われたら、素直に下がります。もう時流については知っているのです。その上で、自らの始末を自分でつけられず、秀吉に委ねるしかないことを昌幸は武士として歯がゆく思っています。聚楽第を攻める云々は出浦のジョークです。そうやって出浦が自分を慰めてくれるのを知って笑っているのです。

 

 戦をなんとか避けようとする三成というのも、対北条戦では、三成がそんな行動をしている史料はないのですが、もうどうでもよくなってきました。確かに、朝鮮出兵に反対して、「つねづね、『六十六州で充分である。どうしてわざわざ、異国でせっぱつまった兵を用いなくてはならないのか』(『看羊録』)」と言い、実際に和平のために努力した三成を知れば、「三成=平和主義者」(この「平和主義者」は現代の平和主義者とは別物です)というイメージになるのは、ある意味分かりますし、三谷氏がそういうイメージで三成のキャラクター造型をしているならば、ひとつひとつのエピソードがフィクションでも「史実に基づいたキャラクター造型によるフィクション」ということになるのでしょうけど、今後どう描かれるのですかね・・・・・・。

(ちなみに、暴君秀吉の前で、秀吉の意向に真っ向から反する『六十六州で充分である。どうしてわざわざ、異国でせっぱつまった兵を用いなくてはならないのか』などという台詞を広言する三成という男は何と命知らずなのかと思います。関ヶ原に突入する前に、何度死んでいてもおかしくありませんね。

 あと『看羊録』というのは、朝鮮出兵の際に日本軍に捕えられた朝鮮の儒学者カン・ハンの虜囚録です。当時儒学者として尊敬されたカン・ハンの元に僧や儒学者が訪問し、彼は捕らわれの身でありながら、色々な情報を知ることができ、それを書きとめたのが『看羊録』です。このため、『看羊録』というのは同時代の記録であり、貴重な史料とされています。)

 

 さて、来週は忍城攻めがあるようですが、次回予告を見ると俗説通り描くみたいですね。既に色々な方が色々な所で指摘している通り、この俗説は誤りです。「忍城攻め」の実像については、既にネットで色々な方が解説されているので、これ以上、別の人が解説する必要はないかと思っていましたが、実際には小説・映画『のぼうの城』とか、次回の『真田丸』の影響力の方が甚大でしょうから、次回は「忍城攻め」について考察してみたいと思います。

 

忍城水攻めの実相については下記をご覧ください。(「次回」と書いてだいぶ後になってしまいました・・・・・・。)↓

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※次回の感想です。↓

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