古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

大河ドラマ『真田丸』 第14話「大坂」 感想

 

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 大河ドラマ真田丸』第14話「大坂」の感想です。 

 といっても、このブログは戦国時代ジャンルでは石田三成研究がメインのブログですので、感想も三成中心になってしまうことをあらかじめお断りしておきます。 

 さて、この回から石田三成が登場します。 

 石田三成といえば従来から傲岸不遜なイメージがあります。これは江戸時代の軍記物・物語から流布されたもので、本当に史実の三成が傲岸不遜だったかは不明ですし、以下に述べるように私は、三成は実は傲岸不遜な性格ではなかったと思います。これについては、以前に以下のエントリーで考察しましたので、こちらもご覧ください。

 

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 しかし、今回の大河ドラマの三谷脚本においても、従来と変わらず「石田三成といえば傲岸不遜」路線が踏襲されています。いろいろインタビューを見ると今回このドラマでは三成を好意的に書くつもりらしいですが、それでも傲岸不遜なイメージは変わらないのですね。

 

 いや、現在の三成人気の起爆剤の一つとなったコーエーの「戦国無双」シリーズなどを見ても分かるように「石田三成といえば傲岸不遜」路線は、三成に好意的な作者・クリエーターにとっても鉄板なんですよね。これだけキャラが立つ設定はない。小説や漫画やゲームをつくるときに、こうした「とんがった」キャラは重要です。そして別の場面では親しい者には義を尽くす姿を見せれば、究極のツンデレキャラになります。なので、三谷さんがこうした脚本を書くのは「おいしい」から分かるんですけど、三谷さんなら、意表をついて今までの三成像(こういった最近の過去の小説・漫画・ゲームキャラも含めて)とはまったく違うキャラ設定をしないかな、と密かに思っていましたのでちょっと残念です。

 

 なんでこんな愚痴めいたことを書いているのかというと、そもそも史実ではこれまでの上杉との外交を担っていたのが石田三成だったわけです。(増田長盛他の武将も連署していますが。)ドラマでは、はしょられるのは仕方ないですが、三成は上杉景勝直江兼続とも書面を通して数年にわたり交渉していました。ですから、今回のドラマのようなあんな感じの他人行儀の関係というのはありえないと思うのですね。

 

 景勝の上洛の天正14(1586)年、石田三成は(かぞえで)27歳。三成にとって上杉との親交を深め、上杉景勝に上洛してもらい秀吉に臣従させるというのは初めての大仕事であって、決してこの上洛に粗相があってはいけません。といいますか、若き三成がこの後大出世を遂げるのは、まさにこの上杉景勝を上洛させ秀吉に臣従させた「取次」としての力量に対する褒賞と今後の期待があったわけで、この上洛以前の時点(上杉景勝が秀吉に臣従する前)で既に三成が秀吉の信任厚き第一の重臣として扱われている作品は全てフィクションと思って良いです。

 

 景勝の上洛が三成にとっての初めての大仕事だったからこそ、三成はわざわざ加賀まで自ら迎えにいき、景勝と共に上洛し、その後大坂の屋敷に景勝一行を招き饗宴を張って接待を尽くしているわけです。これにより上杉と豊臣の間は昵懇となり、これが「外交官」三成が出世していき、その後秀吉の信頼を勝ち取り、後に島津、佐竹、毛利、津軽、真田、相良といった他の大名との取次を任されることになる結果になるのです。そうしたまさに三成が「外交官」としてデビューし、大仕事をなしとげようという時にわざわざ「傲岸不遜」な振る舞いをするでしょうか?(このドラマで言えば、上杉が信繫を紹介しているのに無視するのはかなり無礼なふるまいです。)正直ありえないことなんですね。もし、三成が傲岸不遜で取次としての能力がなければ秀吉はその時点で、「あー、こいつコミュ障だわ。外交交渉駄目だわ」と思い、三成はその役割を外されているでしょう。というか、それ以前に、秀吉はそもそも初めからこういった役割は任さないでしょう。「人たらし」の才といわれた秀吉が、そんな不適格な人材を「取次」にする訳がありません。「人を不快にするなにかを持っている人間」というのは、「取次」という仕事をするには最も向いていない人間です。だから、史実としてはキャラ設定として「ありえない」のですし、このドラマで信繫に言わせた三成評は、今までの俗説通りで正直げんなりしました。

 

 実際にはそれどころか、この後も三成は取次として上杉と豊臣との関係を強めるとともに、佐竹、島津、毛利といった取扱いの難しい大名の取次を三成は一手に引き受けることになります。これは三成が外交交渉で相手を不快にさせるような言動をする訳もなく、むしろ、外交交渉の「気遣い」能力が際立ち、外交によりかつて敵対した大名を親豊臣大名化していく人物と評価されたということだと思われます。

 

 結局史実を追っていくと「石田三成というキャラクターは傲岸不遜な人間ではなく、むしろ交渉相手に対する気遣いの細やかさで出世したキャラクターだった」という結論に辿り着きます。これまで、江戸時代に定着した三成の「傲岸不遜」なイメージがあまりにも強く、それはそれでキャラ的には面白いのですが、実際には真実の三成からはかけ離れています。

 

 今回のドラマを見ると「いや、三成が無礼だったのは信繫に対してであって、景勝に対しては無礼ではないから、これで良いではないか」という意見もあるかもしれませんが、本来は別に上杉の客人である信繫を無礼に扱う意味はありません。

 

 しかし、この「上杉の客人」に対して無礼な「ありえない」行動をとるというのは、普通はなんらかの伏線になるはずなのです。そして、三成が「傲岸不遜」なキャラ設定でなければ伏線として使えたはずです。ところが今回は、三成は初登場ですし、三成が従来の俗説通り「今回のドラマでも三成は『傲岸不遜』なキャラ設定なんですよ」という紹介にしか見えないため、なにかの伏線になっているかはこのドラマでは不明になってしまいました。 

 後半の茶々や秀吉の怪しげな動きを見るとなんらかの伏線になっているのでしょうが、正直分かりにくいです。

 

 史実を考えるならば、上杉景勝が上洛した天正13年(1585年)6月の2か月後、8月の時点での景勝宛て三成と増田長盛の連名の書状に、真田昌幸は「表裏比興」の者だから一切手を貸すな、という有名な書状があります。この昌幸に対する「表裏比興」という評価は秀吉の意見の伝言であり、三成の意見ではありませんが、三成も秀吉の意見に同意していたのかもしれません。

 

 おそらく景勝が上洛した6月の時点においても、秀吉にとって真田はいつどんな行動をするか分からない「表裏比興」の要注意「大名」(「大名でもない父上が・・・・・・」)だった訳です。真田が臣従した上杉が秀吉に臣従するわけですから、その臣下?である真田も普通に考えれば豊臣に臣従する流れになるのが自然なわけですが、秀吉から「真田は本当に上杉の臣下なのか?今までころころ主人を変えているのだから、信用できねーな」というのが、おそらく秀吉の見方だったのです。

(追記:実際には上杉上洛の時に秀吉は、真田を徳川の傘下とする(つまり上杉の傘下から外れる)ことを景勝に伝えており、昌幸の上洛拒否はこの秀吉の措置への反発が大きな理由だったと思われます。)

 

 そうした状況を伏線とするならば、三成の信繫に対する冷淡な態度も分かるのですね。要は(このドラマにおいては)「『表裏比興』の者である真田昌幸の子信繫は、父親から何か密命を託されているかもしれぬ。ここは殿下に顔つなぎができるようにするのは昌幸タヌキの思うつぼだからあえて無視しよう(だから、冷淡な態度を取る)」というのであれば分かります。

 しかし、実際には結局このドラマでは秀吉と信繫は顔合わせをしています。しかも、これは三成の画策(片桐且元ではおそらくない)と考えられるので、ますます混乱します。

 

 まあ、景勝の従者に信繫がいることを、結局三成は秀吉に伝えたのでしょう。上田合戦で徳川軍を破った真田家は家康との交渉で使える駒ですので、後で伝えなかったことが知れるとやっかいなことになりますし、秀吉が昌幸・信繁に誑かされるタマではありません。しかし、はじめから豊臣家が真田を重要視していることを表に出してしまうと、昌幸に付け入られてしまうので、はじめは知らぬふりをして、豊臣家は真田のことなんてそんなに気にしてないよ、という態度を取ったというところなのでしょうが、なんか伝わらないのですね。

 

 あと、なんか加藤清正だらしがないですね。私的にはもう少し清正は怜悧なイメージがありますので、こういう役割は福島正則かと思っていました。正直、秀吉家中というか戦国大名家中は仲良しファミリーではなかったと思いますので、このような三成と清正がはじめは仲が良かったみたいなのは史実ではなく、単純にはじめから関係が薄かったのだと思います(新撰組とは違います。試衛館組は当初は本当に仲良しファミリーだったと思います)が、まあこれは脚本ですので、自由に作って良いかと思います。

 

 また、今回三成の妻「うた」が出てきました。三成の妻(うた)の父宇多頼忠の子頼次(一説には宇多頼忠の兄尾藤知宣の子)は、その後三成の父石田正継の養子となります。この頼次が真田昌幸の娘と婚姻し、これにより石田家と真田家は縁戚となります。この縁戚関係は今まであまり取り上げられることが少なかったのですが、石田三成妻が出てきたのは、この関係を示す伏線でしょうか?と思ったのですが、そもそも頼次の婚姻相手になる昌幸娘(菊姫)がこのドラマでは出てきませんので、多分この縁戚関係もスルーでしょう。

 今回の大河ドラマでは石田家と真田家の親密な関係が描かれるのではないか(例えば三成と真田信之(信幸)との交友等)と、始まる前は期待が高かったのですが、今回を見てあまり期待しても仕方ないのかな、と思いました。まあ、これから変わるのもしれませんが。

 

(平成28年4月16日追記)

(以下の考察は、このドラマの考察であって史実とはまったく関係ありません。) 

 録画で今回を見直してみたのですが、多分このドラマの世界線では、まず真田信尹が家康重臣の石川数正を調略したことから伏線が始まっています。信が数正を調略するには秀吉との連絡ルートができていないといけません。このドラマでは表に出てはいませんが信には秀吉政権との連絡ルートが既にできていたことになります。この信との秀吉政権側の連絡ルートを担っていたのが、このドラマにおいては(この話はフィクションです)石田三成ということになるのでしょう。数正が出奔後三成の屋敷に匿われ、三成が数正を信繫と対面させたのはこれで説明がつきます。

 昌幸の上田合戦、信の数正調略、と真田家は徳川家に大打撃を上げています。その力量を評価した秀吉は、真田家を上杉家の家臣(つまり陪臣になる)とするのは惜しいと考えます。そのため、上杉が信繫を客人(その実、上杉家の人質、家臣)として紹介したのを「豊臣家としては了解していない」という意思で無視し、大坂の宿舎も別にして上杉家との分断を図り、おそらく次回以降では信繫を豊臣家の人質として直接引き取る交渉がなされるのでしょう。これは、真田家の力量を認める秀吉が真田家を豊臣家の直属大名とするための工作です。 

 という流れなのでしょうが、本当に分かりにくいです。

 

※次回の感想です。↓

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