古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

考察・関ヶ原の合戦 其の六 (1)「外交官」石田三成 ~上杉家との外交④ 上杉景勝の佐渡出兵と関東出兵

☆ 総目次に戻る☆ 

☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る

☆考察・関ヶ原の合戦 其の一 はじめに+目次 に戻る

 

※前回のエントリーです。↓

考察・関ヶ原の合戦 其の五 (1)「外交官」石田三成~上杉家との外交③ 出羽庄内における上杉(及び大宝寺)家と最上家の対立事件について 

 

 出羽庄内における上杉・最上の対立事件以降(多少前後する場合もありますが)の上杉景勝と秀吉政権の動き、特に景勝の佐渡出兵及び関東出兵について、以下に記載します。

 

天正十七(1589)年六月、上杉景勝は、佐渡へ出兵し、同国の本間三河守らと一戦を交え、彼らを滅ぼし佐渡支配下に置きます。(*1)

 

 この景勝の佐渡出兵には以下の背景がありました。

 

 既に、天正十四(1586)年六月二十三日、上洛して帰国を目前とした景勝に対して、秀吉は直書を与え、佐渡の厳重な仕置きを命じ、これに背く者に対しては、きっと成敗を加えるべきことを令しています。この時点で、秀吉政権は上杉家の佐渡支配権を認めています。しかし、現実的にはこの時点では、佐渡は在地領主達の支配下にあり、景勝の直接支配の及ぶところではありませんでした。(*2)

 

 また、いまだ越後内において新発田重家の乱を抱えている景勝にとって、佐渡出兵をする余力はありませんでした。

 

 転機が訪れるのは、天正十五(1587)年十月に、上杉景勝が、新発田重家を滅ぼした後になります。

 

 前回のエントリーで、述べたように、天正十六(1588)年五月七日、上杉景勝は入京、十二日に秀吉と対面を果たし、五月二十三日付で正四位下、参議に昇任することになります。(*3)

 

 この際の上洛で、再び佐渡の仕置きについての問題が、秀吉との間で取り上げられ、「帰国の途中、急いで八月二十三日、佐渡へ後藤左京入道(筆者注:後藤勝元、上杉家の重臣を指します)を渡海せしめ、来春か夏、景勝自身渡海して静謐せしむべきこと、特に潟上・河原田の一党が忠勤をぬきんずべきこと(筆者注:潟上・河原田は佐渡の在地領主です)、そして、渡海の準備をなしおくべきことなどを命じたのであった。」(*4)

 

 元々、佐渡の争いは、佐渡在地領主の北佐渡衆と南佐渡衆の闘争でした。

 北佐渡衆は、景勝が出兵準備に及んだことを聞き、勝ち目はないと降伏しました。これに対して、南佐渡衆は、あくまで抵抗したため、いよいよ準備を整え、天正十七(1589)年六月に佐渡へ出兵した景勝の軍勢に打ち破られ、あえなく滅亡しました。(*5)

 

 上記のように、景勝の佐渡出兵・佐渡を上杉家の支配下に置いた事は、秀吉政権との綿密な打ち合わせ、命令により行われたものといえます。

 

〇9月下旬までに佐渡を離れた景勝は、越後に戻るや、「すぐに軍勢を率いて三条(筆者注:越後国三条)へ向かっている。これは陸奥会津伊達政宗の動向に備えるためで、10月下旬頃まで在陣していたと伝えられている。」(*6)

 

天正十七(1589)年冬、秀吉政権により、関東の北条氏政父子攻撃命令が下され、景勝は前田利家・利長父子らとともに、関東へ侵攻することになります。

 翌天正十八(1590)年、碓氷峠を越えて上野に侵入、北条氏の重臣大道寺政繁の籠る松井田城を攻め、4月20日、大道寺政繁を降伏させました。

 ついで、武蔵に侵入、氏政の弟北条氏邦の守る鉢形城に迫りました。6月中には同城の占拠に成功しました。(「北条五代記」では、14日とされています。)

 その後、氏政の弟北条氏照の本拠武蔵八王子城を攻撃し、6月23日に、同城を陥落させます。

 八王子落城の後、小田原城攻撃に参戦しますが、7月5日、氏直が降伏し、小田原城が開城したため、武蔵忍城攻めに向かう事になりました。忍城陥落は、7月14日頃です。(*7)(『行田市史』などでは7月16日とされていますが、ここでは、尾下成敏氏の見解(『浅野家文書』に基づくようです)を記載します。)

 

 なお、石田三成忍城水攻めの実相については、以下のエントリーをご覧ください。 ↓ 

koueorihotaru.hatenadiary.com

※次回エントリーです。↓

koueorihotaru.hatenadiary.com

 

 注

(*1)尾下成敏 2011年、p261

(*2)児玉彰三郎 1979年、p99

(*3)中野等 2017年、p58

(*4)児玉彰三郎 1979年、p100

(*5)児玉彰三郎 1979年、p98~101

(*6)尾下成敏 2011年、p261

(*7)尾下成敏 2011年、p262

 

 参考文献

尾下成敏「上杉景勝の居所と行動」(藤井譲治編『織豊期主要人物居所集成』思文閣、2011年)

児玉彰三郎(児玉彰三郎氏遺著刊行会編)『上杉景勝』ブレインキャスト、2010年(初出1979年) 

中野等『石田三成伝』吉川弘文館、2017年