【小説】 短い話
短い話が好きだった。
短い話を読むのが好きなのではない。短い話を書くのが好きなのだ。
しかし、いざ書こうとすると、「あれも補足しなければ、これも補足しなければ」と付けたし、付けたししていく間に文章はとめどもなく長くなってしまい、文章を書き終えることができなくなってしまう。
発想を変える必要がある。
あらすじを書くつもりで話を書くのだ。
あと、できれば長くてもA4で2ページ以内に収まるように書く。
ということで、短い話を書こう。
* * *
その時、僕は喫茶店で一人でコーヒーを飲んでいた。
僕は、コーヒーに何も足さない。そのままブラックで苦いコーヒーを黙って少しずつ飲んでいた。
周りには数人の客がいたが、皆、僕と同じく黙ってブラックコーヒーを飲んでいた。
元々、この店にはミルクも砂糖も置いていないようだった。机の上には何も、灰皿すら置かれていない。皆、ブラックが好きなのか、それとも店にミルクも砂糖もないから、黙って仕方なく飲んでいるのか分からないが、特にミルクと砂糖がほしいとか店員に言っている客もいないようだったので、皆満足しているのだろう。
僕がその店に入ったのはたまたまだった。旅先で無性にコーヒーが飲みたくなったので、目についた喫茶店にでたらめに入っただけなのだ。
店内をぼんやり見ているうちに気が付いた。他の客たちは、ただ、コーヒーを飲んでいるだけでなく「何かを待っている」ようなのだ。
・・・・・いきなり、前の席に座っていた男が振り返って聞いた。
「あんたも、ハインリヒを待っているのかね」
僕は、「ええ、まあ・・・・・」と答えた。男の聞き方は有無を言わせぬ口調で、「いえ、違います」とか「ハインリヒって誰ですか」とか言える状況ではなかったのだ。
・・・・・・ハインリヒって誰だろう。ドイツ人っぽい名前だが、ここは日本だ。もちろん、ドイツ人か知らないが外国人を待っているのか、あるいは何かの芸名か、あるいは楽団かなにかのグループの名前なのか、分からない。ともかく、彼はハインリヒを待っているのだ。そして、ここの喫茶店にいる男たちは(ここの店には自分も含めて男だけだった)自分を除いて、おそらくハインリヒを待っているのだ。
僕も、そのハインリヒを待ちたくなった。
・・・・・・しばらく待っていたがハインリヒらしき人物は来なかった。ハインリヒらしき人物というか、僕の後に客は店に入ってこなかった。コーヒーは冷めてしまったが、僕はちびりちびりと飲み続けた。周りの客も同じようだったし、店員も何も言わなかった。
店に入っておよそ2時間が経ち、午後5時のチャイムがなった。結局誰も来なかった。
店の壁に時計がかかっており、そこからチャイムがなっていた。午後4時には鳴らなかったのに不思議に思っていると、店員が店の皆に向かって言った。
「申し訳ありませんが、当店は午後5時をもちまして閉店となります」
客の男たちは、文句も言わず冷めたコーヒーの残りを飲み干すとレジへ向かった。自分もそれにならった。
店を出て、すぐにさっき話かけてきた男に声をかけた。
「結局、ハインリヒは来ませんでしたね」
男は振り返った。何を言っているんだ、という目つきだ。
「いや、ハインリヒは来ていたじゃないか」
「え?」
とまどう僕を無視して、さっさと男は行ってしまった。
さっきの店に戻ろう。
店のドアを開けると、店員は「申し訳ありませんが、もう閉店で・・・・・・」と言った。
僕は聞いた。
「ハインリヒって誰ですか?」
「あなたです」
「は?」
「もう来ています」
「は?」
「鏡を見てください」
そのまま、僕は追い出された。
仕方ない。僕はその町の駅に向かった。
小さな駅の待合室の壁には、大きな鏡がなぜか備え付けられていた。
鏡を見て僕は、分かった。
ああ、僕はハインリヒだ。
僕は、この町から抜け出せないことを知った。電車はもう来ない。
鏡の横にある電車の時刻表は空欄だった。