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古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

大河ドラマ 『真田丸』 第35話 「犬伏」 感想

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※前回の感想です。↓

koueorihotaru.hatenadiary.com

 

※『真田丸』の構成の考察・まとめです。↓

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 さて、第35回「犬伏」感想です。

 

1.前回、上杉と真田が事前通謀しているフィクション設定でした。いや別にフィクション設定でも構わないんですが、信幸が、正直上杉の勝ち目の薄い(というより皆無に等しい)、徳川連合軍vs上杉軍の戦いで上杉軍に真田がつくのは賛成しながら、なぜ大坂方が立ち上がったら、徳川方に付くという決断をしたのか、訳が分かりません。

 そもそも、この上杉と真田が事前通謀しているのがフィクションであるし、信幸が徳川方につくのは舅である本多忠勝の縁であることは、普通にこれまで見てきた視聴者にも理解されているでしょう。なんで、わざわざ上杉と真田が事前通謀しているフィクション設定を導入し、ほとんど勝ち目のない上杉方に付くことを信幸が賛成するストーリーにして、そのうえで犬伏では徳川方につくことにしたか、全く意味不明です。この架空エピソード自体不要だったのではないでしょうか。この架空エピソードを除いた方が、信幸の決断が分かりやすいでしょう。

 

2.前回、予想した通りまだ佐和山にいるはずの三成が大坂にワープして人質作戦を開始します。また前回きりが細川家に仕えたので、そのまま細川家にいるかと思えば、無視して真田家に居ついています。そして、細川家に火の手が上がったと聞けば「わたし、気になります」とばかり、火の手のあがった細川家に単身潜入。(兵士達とかはどうかわした?)ガラシャと、逃げるの、逃げないののコント劇。なんですか、これは。細川ガラシャを馬鹿にしているんですか。このエピソード自体、真田家とは関係のない話ですので不要だったのではないでしょうか。

 

※参考エントリーです。↓

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 3.このドラマでは「時代遅れの馬鹿」と(三谷)設定されている昌幸が犬伏でも、また夢のようなたわ言を言って、息子の信繫から「夢物語はもう終わりにしてください、父上!」とどなられる始末。いや、信繫、それを言っているのは父上じゃないから。この三谷「真田丸」箱庭世界における「神」の三谷幸喜が、オリジナルフィクションで操り人形の昌幸に言わせているだけだから。三谷さん、「夢物語」を言っているのはあなた自身だから。

 

 せっかくの真田物語の名場面「犬伏の別れ」が、三谷氏の「夢物語=たわ言」で台無しになりました。本当に、三谷さんの夢物語はもう終わりにしてほしいです。

 

※参考エントリーです。↓

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 よく、この感想ブログで辛辣な批評をしていると「歴史ドラマは歴史ドキュメンタリーじゃない。フィクションだ」という反論があります。いや、歴史ドラマにフィクションがあること自体は、誰も批判していないのです。

 

 というか、『真田太平記』なんて、架空の忍びもたくさん登場し、フィクションだらけですが、私は小説もNHKドラマもおおいに評価しています。

 

 私が批判しているのは、作家(脚本家)が、①歴史上に実在する主要な登場人物(例えば「きり」みたいなオリジナル臭の強い人物の設定を、批判してもきりがありませんし、歴史ドラマにも架空の人物は出てきますが、それは作者の自由です)を、②骨格となるストーリーで(細かいストーリーと史実の差異はどうでもいいです)、作者が意図的に史実を捻じ曲げその人物をその意図的なフィクションを使って貶めたり、低く扱っている

 

という、この①~④のすべてにあてはまる場合だけ批判しているのです。やはり、いくら歴史ドラマでフィクションが認められているといっても、この最低条件くらいは守ってほしいものです。

 

(追記)以下は、細かいことですので、批判ではありません。参考までに願います。

1.稲が大坂にいて、この混乱時期に沼田に脱出したのかは不明です。(というか、その説ははじめて聞きました。)①内府違いの条々の家康弾劾のひとつに「家康が勝手に大名の家族の人質を返した」とあります。徳川の養女である稲姫がこの「家康が勝手に大名の家族の人質を返した」の中に入っていて、この時期より前に、沼田に返された可能性は大いにありえます。②あるいは、そのまま大坂に人質にいて、沼田城稲姫が待ち構え、昌幸が沼田城に入ろうとするのを邪魔するのは虚構とする説もあります。

 しかし、やはり沼田城稲姫エピソードはドラマ的に絵になるエピソードですので、ドラマ的には①の説の方がよいでしょう。

(平成28年10月30日追記)

 黒田基樹『シリーズ・実像迫る001 真田信繁』戎光祥出版、2016年 47ページには、「ここで良く取り上げられるのが、信幸の妻小松殿が、信幸留守中のため、昌幸らの入城を阻んだという逸話である。

 しかし、これも事実とは考えられない。というのは、小松殿はそれまで大坂の信幸屋敷にあって、このときは大坂方に人質にとられており、沼田城にはいなかったからである。大坂方は、七月十七日からただちにそれぞれの大坂屋敷にいた諸大名の妻子を人質として収容していっていた。そのときに昌幸の妻山之手殿(信幸・信繁母)と信繫の妻竹林院殿も大坂方に拘束されたものの、姻戚関係をもとに大谷吉継の屋敷に保護されており、信幸の妻小松殿も大坂方に確保されたことが知られれている(「真田家文書」信一八・四三四)。」

 とあります。やはり歴史研究では②の説の方が一般的なようですね。これに対して「①の説の方が正しい」とあえて反論するとしたら「真田家文書」には信幸の「妻としか書いてなかったと思われますので、「ここでの「妻」とは清恩院(『真田丸』での「おこう」)のことだ!」とかぐらいですけど、妻というと普通は正室を指すのでやはり小松殿であるというのが自然ですので、やはり残念ですが、小松殿が信幸留守中のため、昌幸らの入城を阻んだエピソードはおそらくフィクションということになります。

 ただ、ドラマですのでやはりこのシーンがないと物足りませんので、ドラマでやること自体は良いとは思います。)

 

2.大谷吉継が重い病でまともに動けないのを無理して動いているような描写がありますが、実際にはこの頃、吉継は宇喜多家の騒動の仲裁の取次、上杉征伐前の上杉との取次を行っており、内府違いの条々以後でも北陸に出陣して指揮をとっており、大活躍なのですね。とても病人の動きにはみえない。この頃、吉継の病は小康状態にあり、逆にいうと吉継は不可逆的に進行していく病ではなく、重くなったり軽くなったりを繰り返す病(あるいは、この頃吉継は回復状態にあった)というのが推察可能です。吉継の病は実は不明なのですが、重くなったり軽くなったりを繰り返す病か、回復可能な病であろうと推測されます。(よく言われるハンセン氏病がこの類型にあてはまるかというとかなり微妙なので、私は吉継は別の病だったのではないかと考えています。)

 

3.あと、このドラマの昌幸が西軍決起を「早すぎる!」と言っていますが、そんなことはないですよ。むしろ遅すぎです。なぜなら、西方の大名も次々と(「豊臣公議」の命令で)上杉征伐軍に集結しようと向かっていたからです。一度、家康軍の指揮下に入ってしまうと、なかなかこの指揮に逆らうというのは難しいのです。実際に一度家康軍の指揮下に入った東軍大名で西軍に寝返ったのがほとんどいないことからでも、この「軍権」はいかに強固な物か分かるでしょう。そして、これが実際に敵と交戦となると、交戦前とは比べ物にならない程、この軍権は動かし難いほどのものになります。

 だから、西軍諸将は、どうしても徳川指揮軍が上杉と実際に交戦するまえに、家康の軍指揮権の正当性を否定しなければいけなかったのです。

 しかし、それでも手遅れでした。

 

4.(平成28年9月6日追記)信繫が、大坂城北政所と出立の挨拶を交わしますが、慶長4(1599)年9月26日に北政所は、大坂城から京都新城へ移っていますので、この時期に北政所大坂城にいません。

 これは家康が伏見から大坂城に移って来たのに伴い、大坂城を出て京都新城に移ったことによるものです。これを、「①北政所は自発的に大坂城から京都新城に移ったのだ」とみるか「②北政所は、家康によって大坂城を追い出されたのだ(もちろん史料にあからさまにそんな事はかいてありません)」とみるかは解釈の分かれるところです。

 家康が、秀吉の遺言を完全に無視して(家康の明確な意思による、秀吉遺言体制の意図的な破棄)伏見城から大坂城に移り、秀頼の側に常侍することの意義を考えると、まあ実質、家康が北政所大坂城から追い出したのであろうと考えるのが自然ではありますが。