古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

石田三成の重臣 嶋(左近)清興

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 嶋(左近)清興は、天文九(1540)年、大和国平郡の生まれ。(江戸時代の記録類には「島左近」とする記述が多いようですが、当時の文書からは「嶋」氏が正しいようです。)(*1)

 はじめ、筒井順慶の家臣として仕えますが、天正十二(1584)年に順慶が死去し、跡を継いだ養嗣子の定次との折り合いは悪く、天正十六(1588)年には左近は筒井家を去り、奈良興福寺塔頭持宝院に寄食していたといたとされます。(*2)

 ただし、山鹿素行武家事紀』によると、天正十三(1585)年に筒井家を去り、豊臣秀長の家臣に転じたとあります。そして、秀長が天正十九(1591)年に亡くなると、秀長養子の秀保に仕え、その秀保も文禄四(1595)年に亡くなった後、石田三成に仕えたとされます。(*3)しかし、この『武家事紀』の記述には疑問があります。

 近年発見された、嶋左近が佐竹氏重臣に宛てた書状では、左近は天正十八(1590)年7月の時点で三成の外交を担当しており、これより前に左近は三成に仕えたことが分かります。(以下参考サイト参照)↓

www.sankei.com

www.nikkei.com

 

 このため、『武家事紀』にある、左近が秀長に仕えたことが史実であっても、天正十八(1590)年7月以前には、左近は三成に仕えていることが分かります。

 三成の妻の父宇多頼忠は秀長の重臣であり、その関係から考えると、はじめ左近は秀長から三成の補佐のため与力として派遣され、秀長の死去とともに三成家臣として仕えるようになったという可能性も考えられます。

 また、年代は不詳ですが、三成が領国の年貢率について、嶋左近ら三名(他は山田上野(おそらく三成長女の夫・山田隼人正勝重の父山田上野介のことだと思われます。)・四岡帯刀)の者に委ねている書状もあり、三成が石田家重臣である左近らに領国支配の差配を委ねていたことがわかります。(*4)

『関原軍記大成』、『常山紀談』では、三成が水口城主四万石のときに、知行の半分の二万石を割いて左近に与えて厚遇した逸話がありますが、史料によって裏付けることはできません。(*5)三成が水口城主だったことはなく、この話はフィクションだと思われます。

 秀吉死後の関ヶ原の戦いの前日の慶長五(1600)年九月十四日、前哨戦である久瀬川の戦いで石田家臣の嶋左近と蒲生郷舎は、東軍の中村一栄・有馬豊氏らと戦い、左近の奇襲作戦で、中村隊の家老野一色頼母ら三〇余名を討ち勝利したとされます。『関ヶ原合戦図屏風』(行田市郷土博物館蔵)右隻には、中村一栄隊を追撃する左近の勇姿が描かれています。(*6)(近年では、久瀬川の戦いがあったか自体を疑問視する説もありますが、勝者である東軍にとって不名誉な敗戦を、わざわざ江戸時代に創作する意味が不明となります。)

 九月十五日の関ヶ原の戦いの時は、「決戦の日、石田隊の前隊として、黒田・田中隊と激しく戦った。『黒田家譜』によれば、「石田が先鋒・嶋左近、要地をとり、旗正々として少しも撓まず、寄手の勢を待居たり」「左近は、かくれなき大剛の者にて、大音をあげて下知しける声、雷霆のごとく陣中に響き、敵・味方に聞こえて耳を脅かしける」と、敵を称えている。左近は馬上にて、兵の進退宜しく、一時は家康の本陣に迫る勢いを示した。しかるに、黒田の銃隊長・菅六之介(政利)、五十の射手に透間もなく狙い撃たれ、負傷して柵内に退った。この戦いで加藤嘉明の先手と闘い斬死した(『戸川記』)とも、乱戦のなかで討死した(『関原軍記大成』)とも、生死知れず(『関ヶ原合戦当日記』とも、西国の方へ落ちた(『石田軍記』)とも伝えられている。」(*7)とあります。

※ 参考エントリー↓

koueorihotaru.hatenadiary.com

 

 注

(*1)花ヶ崎盛明 2001年、p10

(*2)花ヶ崎盛明 2001年、p22~23

(*3)白川亨 2001年、p105

(*4)中野等 2017年、p300

(*5)花ヶ崎盛明 2001年、p24~25

(*6)花ヶ崎盛明 2001年、p240~241

(*7)安藤英男・斎藤司 1985年、p206

 

 参考文献

安藤英男・斎藤司石田三成家臣団時点-三成をめぐる九十二名-」(安東英男『石田三成のすべて』新人物往来社、1985年)

花ヶ崎盛明「島左近とその時代」「島左近関係年譜」(花ヶ崎盛明編『島左近のすべて』新人物往来社、 2001年所収)

白川 亨「島左近石田三成」(花ヶ崎盛明編『島左近のすべて』新人物往来社、 2001年所収)

中野等『石田三成伝』吉川弘文館、2017年