古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

『武将感状記』に書かれた、石田三成の「三献茶」の逸話

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『武将感状記』という書物に、石田三成豊臣秀吉に仕官する際の逸話で有名な「三献茶」の話が掲載されています。

 

 Wikipediaによりますと(Wikipediaですいません)、『武将感状記』とは、肥前国平戸藩藩士熊沢猪太郎(熊沢淡庵)によって正徳6年(1716年)に刊行された、戦国時代から江戸時代初期までの武人について著された行状記でそうです。全10巻、250話からり、『砕玉話』ともいうことです。もっとも、東京大学史料編纂所進士慶幹が、平戸の旧藩主・松浦家へ照会したところ、著者に該当するような人物は見当たらず、また熊沢家への問合せでも、そのような人物は先祖にいないということであり、実際、作者の正体は不明とのことです。

 

 さて、その「三献茶」の逸話を、『武将感状記』から引用します。

 

「秀吉石田三成を召し出さるゝ事

 

 石田三成はある寺の童子也。秀吉一日放鷹に出て喉乾く。其の寺に至りて誰かある、茶を點して来(きた)れと所望あり。石田大いなる茶碗に、七八分にぬるく立て持ちまゐる。秀吉之を飲み舌を鳴らし、気味よし今一服とあれば、又立てこれを捧ぐ。前よりは少し熱くして、茶碗半ばにたらす。秀吉之を飲み又試みに今一服とある時、石田此の度は小茶碗に少し許(はか)りなる程熱く立てい出す。秀吉之を飲みその氣の働を感じ、住持にこひ近侍に之を使ふに、才あり、次第に取り立て奉行職を授けられぬと云へり。」

 

 もとより、関ヶ原の戦いから100年以上たった正体不明の人物による逸話なので、史実とはいえないでしょう。しかし、これが現代にまで人口に広く膾炙したことを考えると、この逸話は、江戸時代の人々が「石田三成」に抱くイメージが、このようなイメージだったのだと考えらます。

 

(この項については、思いついたところがあったら追記します。よろしくお願いします。)

 

 参考文献 

Wikipedia『武将感状記』の項:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%B0%86%E6%84%9F%E7%8A%B6%E8%A8%98

熊沢猪太郎『武将感状記』(国立国会図書館デジタルコレクション)(「三献茶」については、コマ番号117)