古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

関ヶ原への百日③~慶長五年八月

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戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次 

 

 (このページは、関ヶ原への百日①~慶長五年八月 です。)

関ヶ原への百日①~慶長五年六月 

関ヶ原への百日②~慶長五年七月 

関ヶ原への百日④~慶長五年九月 

 

慶長5(1600)年8月

 

8月2日 徳川家康、小山発ヵ(同日付森忠政宛家康書状写「先刻于江戸帰陣申候」『家康』)。(『居所集成』、p118)

8月2日 毛利輝元里神楽執行(『舜旧』)。(『居所集成』、p233)

8月5日 家康、江戸着(7日付伊達政宗宛家康書状「一昨五日江戸致帰城候」『家康』)。同日江戸在(同日付福島正則等宛家康書状『家康』)。(『居所集成』、p118)

8月5日 石田三成大坂城を出て佐和山城に戻る。(『居所集成』、p306)

8月9日 三成、、美濃垂井に出陣。(『居所集成』、p306)

8月10日 三成、大垣城に入る。その後一旦佐和山に戻り、9月初め再び大垣に到着。(『居所集成』、p306)

8月10日 この頃に浅野長政甲州に戻る予定だった(8日付小河久介宛小河越中書状写「太祖公済美録」)(『居所集成』、p328)

8月11日 輝元、西洞院時慶より祓札を送られる。(『時慶』)。(『居所集成』、p233)

8月11日 伊達政宗白石城普請(「此普請中(中略)五六日も此方にかたくおき候て可燃候」『政宗2』)。(『居所集成』、p285)

8月14日 政宗白石城発、北目城着(『治家記録』)。(『居所集成』、p285)

8月15日 近衛信尹、参内。後陽成天皇より「天下無事義」(関ヶ原合戦のこと)について仰せ聞かさる。(『居所集成』、p391)

8月17日 信尹、徳川方・大坂方和議のことについて西洞院時慶へ申し聞かす。(『居所集成』、p391)

8月18日 北政所、早朝、豊国社へ社参す(『舜旧』)。(『居所集成』、p430)

8月21日 家康、江戸在(同日付堀親良宛結城秀康書状写「内府も(中略)此四五日比二江戸可被罷立由二候」)。(『居所集成』、p118)

8月22日 福島正則ら、木曽川の萩原渡、尾越渡を越える。(『居所集成』、p335)

8月23日 正則ら、岐阜城を攻略して尾張まで退いたのち、佐和山表への進軍を予定している。(「系譜」)その後、大垣城周辺に陣を構える(「大洲加藤文書」)(『居所集成』、p335)

8月24日 輝元、北野社へ初穂献上。(『居所集成』、p233)

8月24日 長政、家康より、中山道を進む徳川秀忠を助けるよう依頼される(同日付長政宛徳川家康書状『浅野』)(『居所集成』、p328)

8月29日 北政所、禁裏の側ゆえ戦乱に巻き込まれることを慮ってか、周囲の石垣・塀・門などを破却させた(『義演』『時慶』)。(『居所集成』、p430)

 

 参考文献

藤井譲治編『豊織期主要人物居所集成』思文閣出版、2011年

白峰旬「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について(その2) −時系列データベース化の試み(慶長5年3月~同年12月)−」、2016年

中野等『石田三成伝』吉川弘文館、2017年