古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)

歴史考察(戦国時代・三国志・関ヶ原合戦・石田三成等)、書評や、        日々思いついたことをつれづれに書きます。

古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) 総目次

 ☆☆総目次☆☆

戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他)  目次(←関ヶ原合戦の考察の目次はこちらです)

☆石田三成関係略年表 目次 

☆慶長争乱(関ヶ原合戦)  時系列まとめ・関ヶ原への百日  目次

三国志 考察 目次 

村上春樹 関連 目次

本・漫画の書評・感想 目次

雑想・その他 目次 

【小説】 目次

 

*平成26年12月24日以降の更新履歴は以下に書きます。(新しい順です。)

石田三成関係略年表⑰ 慶長三(1598)年一月~七月 三成39歳-慶長の役②、蔚山城の戦い、蒲生秀行の宇都宮転封、上杉景勝の会津転封、蜂須賀家政・黒田長政らの処罰、秀吉の病重篤となる、筑前・筑後巡検 (令和4年2月23日)

石田三成関係略年表⑯ 慶長二(1597)年 三成38歳-慶長の役①、宇都宮氏改易事件(令和4年1月30日)

石田三成関係略年表⑮ 文禄五・慶長元(1596)年 三成37歳-文録の役⑤(講和使節の来日→交渉決裂)、サン・フェリペ号事件、二十六聖人殉教事件(令和4年1月30日)

石田三成関係略年表⑭ 文禄四(1595)年 三成36歳-文録の役④(休戦中)、佐竹・島津領国の知行目録発出、蒲生氏郷死去、秀次事件(令和3年12月27日)

石田三成関係略年表⑬ 文禄三(1594)年 三成35歳-文録の役③(休戦中)、島津忠恒の上洛、伏見城普請、島津領国・佐竹領国の「太閤検地」、秀吉の上杉邸御成 

(令和3年12月19日)

石田三成関係略年表⑫ 文禄二(1593)年 三成34歳-文録の役②、拾(秀頼)の誕生

(令和3年11月14日)

石田三成関係略年表⑪ 天正二十・文禄元(1592)年 三成33歳-文禄の役、梅北一揆(令和3年10月24日)

石田三成関係略年表⑩ 天正十九(1591)年 三成32歳-大崎・葛西一揆の鎮圧、伊達政宗上洛、千利休切腹、九戸政実の乱(九戸一揆)、三成の佐和山入城、秀次の関白任官 (令和3年10月23日)

石田三成関係略年表⑨ 天正十八(1590)年 三成31歳-北条攻め、忍城攻め、奥羽仕置、大崎・葛西一揆(令和3年10月17日)

石田三成関係略年表⑧ 天正十七(1589)年 三成30歳-聚楽第落書事件、庄内問題の結着、摺上原の戦い、美濃国検地、名胡桃城奪取事件(令和3年9月26日)

石田三成関係略年表⑦ 天正十六(1588)年 三成29歳-聚楽第行幸、毛利輝元・北条氏規の上洛、刀狩り・海賊停止令、庄内問題 (令和3年9月11日)

天正十五(1587)年の秀吉政権と石田三成の動きについて(令和3年9月5日)

石田三成関係略年表⑥ 天正十五(1587)年 三成28歳-九州征伐、肥後国衆一揆、真田昌幸の上洛、新発田重家の滅亡 (令和3年9月4日)

天正十四(1586)年の秀吉政権と石田三成の動きについて(令和3年8月15日)

石田三成関係略年表⑤ 天正十四(1586)年 三成27歳-上杉景勝・徳川家康の上洛、堺奉行、九州前哨戦 (令和3年8月1日)

石田三成関係略年表④ 天正十三(1585)年 三成26歳-紀州攻め、「治部少輔」三成、真田家との取次(令和3年2月14日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像~第16章 なぜ、(実際には違うが)石田三成は伊達政宗を「敵視」していたと誤解されるのか?(2)(令和3年2月11日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像~第15章 なぜ、(実際には違うが)石田三成は伊達政宗を「敵視」していたと誤解されるのか?(1) (令和3年2月11日)

石田三成関係略年表③ 天正十二(1584)年 三成25歳-小牧・長久手の戦い 

(令和3年1月30日)

石田三成関係略年表② 天正十一(1583)年 三成24歳-賤ケ岳の戦い (令和3年1月24日)

石田三成関係略年表①(永禄三(1560)年~天正十(1582)年(1~23歳) (令和3年1月12日)

読書メモ:オンライン三成会『決定版 三成伝説』第六章 朝鮮・文禄の役~日本人は無人に罷りなり候 に追記しました。(令和3年1月7日)

文禄の役時の石田三成の動向について②~勝申候内二日本人ハ無人ニ罷成候 (令和3年1月3日)

文禄の役時の石田三成の動向について①(令和3年1月2日)

☆慶長争乱(関ヶ原合戦)主要人物・書状等 時系列まとめ 更新しました。

(令和2年11月23日) 

慶長三(1598)年9月~12月(令和2年11月23日)

慶長四(1599)年1月~12月(令和2年11月23日)

慶長五(1600)年1月~5月(令和2年11月23日)

考察・関ヶ原の合戦 其の四十九 徳川家康の人質にされそうになった(?)毛利輝元養女(追記あり)

(令和2年10月21日)(令和2年10月22日追記)

文禄の役時の宇喜多秀家の立ち位置と黒田官兵衛の動きについて(令和2年9月10日)

考察・関ヶ原の合戦 其の四十八 イエズス会が分析した関ヶ原の戦いにおける西軍の敗因について(令和2年8月22日)

考察・関ヶ原の合戦 其の四十七 「内府ちがひの条々」以降の三奉行(前田玄以・増田長盛・長束正家)の動向について(令和2年8月15日)

関ヶ原の戦いは西軍が負けるべくして負けた戦い~毛利輝元の「天下三分の計」に追記しました。(令和2年8月15日)

関ヶ原の戦いにおける西軍決起計画の『主導者』は誰か? (令和2年8月9日)

考察・関ヶ原の合戦 其の四十六「七将襲撃事件」とは何だったのか?⑤ (令和2年8月7日)

「内府ちがひの条々」について(令和2年7月24日)

関ヶ原への百日①~慶長五年六月(令和2年7月23日)

関ヶ原への百日②~慶長五年七月 (令和2年7月23日)

関ヶ原への百日③~慶長五年八月(令和2年7月23日)

関ヶ原への百日④~慶長五年九月 (令和2年7月23日)

『武将感状記』に書かれた、石田三成の「三献茶」の逸話 (令和2年2月9日)

『徳川実紀』にみる、「『秀吉は家康に政権を禅譲した』説の否定」(令和2年2月6日)

「徳川秀忠より上杉景勝の三家臣に遣れる書状〔慶長三年十月二十三日〕」について

(令和2年2月2日)

書評③ 高橋陽介『秀吉は「家康政権」を遺言していた』~第二部 慶長三年三月~八月②(令和2年2月2日)

考察・関ヶ原の合戦 其の四十五「七将襲撃事件」とは何だったのか?④ 

(令和元年12月15日)

考察・関ヶ原の合戦 其の四十四「七将襲撃事件」とは何だったのか?③ 

(令和元年11月25日)

考察・関ヶ原の合戦 其の四十三「七将襲撃事件」とは何だったのか?② 

(令和元年11月25日)

考察・関ヶ原の合戦 其の四十二「七将襲撃事件」とは何だったのか?①

(令和元年11月24日)

【書評】② 高橋陽介『秀吉は「家康政権」を遺言していた』~第二部 慶長三年三月~八月① (令和元年11月22日)

【書評】① 高橋陽介『秀吉は「家康政権」を遺言していた』第一部 天正二〇年四月~慶長三年一月 (令和元年11月10日)(令和元年11月13日 追記)

考察・関ヶ原の合戦 其の四十一「五大老」について~3.領地の給与

(令和元年11月10日)

考察・関ヶ原の合戦 其の四十「五大老」について~2.謀反や反乱の対処(庄内の乱) (令和元年11月9日)

考察・関ヶ原の合戦 其の三十九「五大老」について~1.文禄・慶長役後の朝鮮半島からの撤兵③ (令和元年11月9日)

考察・関ヶ原の合戦 其の三十八「五大老」について~1.文禄・慶長役後の朝鮮半島からの撤兵② (令和元年11月4日)

考察・関ヶ原の合戦 其の三十七「五大老」について~1.文禄・慶長役後の朝鮮半島からの撤兵① (令和元年11月3日)

石田三成、徳川家康に秀吉の死去を知らせる。(『戸田左門覚書』について)

(令和元年10月27日)

考察・関ヶ原の合戦 其の三十六 秀吉死去前後に作成された起請文について 

(令和元年10月22日)

石田三成と小早川秀秋の繋がりについて~博多代官 石田三成 (令和元年10月19日)

考察・関ヶ原の戦い 其の三十二 西軍の「総大将」毛利輝元 ①秀吉の遺言~「西国の儀任せ置かるの由候」に追記しました。(令和元年10月8日)

考察・関ヶ原の合戦 其の三十五 慶長四年九月における、宇喜多秀家の大坂から伏見への居所変更の経緯について(令和元年9月15日)

考察・関ヶ原の合戦 其の三十四 西軍の「総大将」毛利輝元 ③毛利秀就の跡目について(令和元年6月8日)

考察・関ヶ原の合戦 其の三十三 西軍の「総大将」毛利輝元 ②秀秋越前・加賀転封時における、石田三成の小早川旧臣救済(令和元年6月2日)

考察・関ヶ原の合戦 其の三十二 西軍の「総大将」毛利輝元 ①秀吉の遺言~「西国の儀任せ置かるの由候」(令和元年5月31日)

石田三成 名言集(平成30年12月23日)

石田三成の「村掟」(平成30年12月23日)

石田三成家臣団(平成30年12月10日)

石田三成の重臣 嶋(左近)清興 (平成30年12月8日)

島津義弘と石田三成について⑩-関ヶ原の戦い、島津退き口 

(平成30年12月2日)

島津義弘と石田三成について⑨-なぜ、島津義弘は西軍についたのか?

(平成30年11月25日)

島津義弘と石田三成について⑧-義弘の伏見城入城はなぜ拒否された?

(平成30年11月25日)

島津義弘と石田三成について⑦-庄内の乱(平成30年11月18日)

島津義弘と石田三成について⑥ (平成30年11月12日)

島津義弘と石田三成について⑤(平成30年10月28日)

島津義弘と石田三成について④ (平成30年10月28日)

島津義弘と石田三成について③(平成30年10月27日)

島津義弘と石田三成について② (平成30年10月21日)

島津義弘と石田三成について①(平成30年10月20日

考察・関ヶ原の合戦 其の三十一 なぜ、小早川秀秋は西軍を裏切ったのか?

(平成30年10月19日)

考察・関ヶ原の合戦 其の三十 宇喜多秀家・石田三成・大谷吉継・小西行長は「北政所派」② (平成30年10月15日)

考察・関ヶ原の合戦 其の二十九 宇喜多秀家・石田三成・大谷吉継・小西行長は「北政所派」① (平成30年10月14日)

石田三成の次女 小石殿とその子孫②~石田三成の曾孫(於振の方)、徳川家光の側室となる (平成30年9月12日)

石田三成の次女 小石殿とその子孫① (平成30年9月9日)

春屋宗園・沢庵宗彭と石田三成について(平成30年9月5日)

神屋宗湛と石田三成について(平成30年9月2日)

考察・関ヶ原の合戦 其の二十八 イエズス会日本報告の記述における豊臣秀吉死去前後の状況③ (平成30年8月25日)

考察・関ヶ原の合戦 其の二十七 イエズス会日本報告の記述における豊臣秀吉死去前後の状況② (平成30年8月22日)

考察・関ヶ原の合戦 其の二十六 イエズス会日本報告の記述における豊臣秀吉死去前後の状況① (平成30年5月20日

☆慶長争乱(関ヶ原合戦) 主要人物行動・書状等 時系列まとめ ①【慶長三(1598)年八月】(平成30年5月12日)

☆慶長争乱(関ヶ原合戦) 主要人物行動・書状等 時系列まとめ 目次・参考文献

(平成30年5月12日)

日本26聖人殉教事件と石田三成について に追記しました。(平成30年4月22日)

「直江状」は偽書か?⇒偽書です。に追記しました。(平成30年2月24日)

佐竹義宣と石田三成について④~関ヶ原合戦、秋田にある石田三成の墓 

(平成30年2月18日)

結城秀康と石田三成と石田切込正宗(平成30年2月18日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像 第2章~古渓宗陳を讒言により配流させた? に追記しました。(平成30年2月18日)

佐竹義宣と石田三成について③~義宣、七将襲撃事件で三成の危急を救う

(平成30年2月18日)

小早川秀秋の九州入国に気配りをする石田三成に追記しました。(平成30年2月17日)

島井宗室と石田三成について (平成30年2月17日)

佐竹義宣と石田三成について②~宇都宮国綱改易事件 (平成30年2月13日)

佐竹義宣と石田三成について① (平成30年2月3日)

日本26聖人殉教事件と石田三成についてに追記しました。(平成30年1月27日)

上杉景勝と石田三成と鷹狩について(平成30年1月27日)

谷徹也編著『石田三成』読書メモ~慶長五(1600)年六月頃の石田三成の動き

(平成30年1月20日

柿好き石田三成(平成30年1月20日

秀吉軍が行った「補給戦」とは?(平成29年12月27日)

津軽家と石田三成の次男重成、三女辰姫 (平成29年12月25日)

考察・関ヶ原の合戦 其の二十五  奉行衆の主な三つの権能 (平成29年12月18日)

石田三成と甲賀と忍者 (平成29年12月10日)

北信濃で石田三成・直江兼続が進めた「兵農分離」(平成29年12月8日)

考察・関ヶ原の合戦 其の二十四 西軍における石田三成の立ち位置について 

(平成29年12月3日)

考察・関ヶ原の合戦 其の二十三 徳川家康の森忠政独断加増事件-北信濃を巡る関ヶ原前哨戦 (平成29年11月29日)

考察・関ヶ原の合戦  其の二十二  七将襲撃事件以降の石田家の動向について

(平成29年11月26日)

考察・関ヶ原の合戦 其の二十一  宇喜多騒動とは(平成29年11月23日)

考察・関ヶ原の合戦 其の二十 太閤検地とは何か?(平成29年11月19日)

安東(秋田)実季と石田三成について (平成29年11 月14日)

考察・関ヶ原の合戦 其の十九 「大老」宇喜多秀家(平成29年11月5日)

考察・関ヶ原の合戦 其の十八  秀吉に最も期待をかけられた大名、宇喜多秀家 

(平成29年11月3日)

考察・関ヶ原の合戦 其の十七 (3)関ヶ原の戦いでなぜ西軍は東軍に負けたのか?~②関ヶ原の戦いをめぐる3つの派閥 a.「徳川派」とは何か・大谷吉継も、しばらく「徳川派」だった(平成29年11月1日)

「嫌われ者 石田三成の虚像と実像~第14章 石田三成は加藤光泰を毒殺していません 

「嫌われ者 石田三成の虚像と実像~第13章 細川ガラシャ事件と石田三成は無関係 

(平成29年10月29日)

「批評」とは何か~読書メモ:守屋淳『もう一つの戦略教科書 『戦争論』』 

(平成29年10月28日)

考察・関ヶ原の合戦 其の十六 (3)関ヶ原の戦いでなぜ西軍は東軍に負けたのか?~②関ヶ原の戦いをめぐる3つの派閥 a.「徳川派」とは何かの続き1

(平成29年10月6日)

考察・関ヶ原の合戦 其の十五(2)慶長の役時の黒田長政・蜂須賀家政処分事件の実相④~処分の決定時に「石田三成外し」があった?(平成29年10月3日)

本日は、石田三成の命日(平成29年10月1日)

考察・関ヶ原の合戦 其の十四 (3)関ヶ原の戦いでなぜ西軍は東軍に負けたのか?~②関ヶ原の戦いをめぐる3つの派閥  a.「徳川派」とは何か・石田三成は、しばらく「徳川派」だった!?(平成29年9月18日)

考察・関ヶ原の合戦 其の十三 (3)関ヶ原の戦いで西軍はなぜ、東軍に負けたのか?①~西軍の組織構造は? (平成29年9月16日)

関ヶ原! (平成29年9月15日)

「兵農分離」はあったか?(平成29年9月13日)

考察・関ヶ原の合戦 其の十二(2)慶長の役時の黒田長政・蜂須賀家政処分事件の実相③~戦線縮小(案)はなぜ、秀吉から激怒されたか (平成29年9月5日)

考察・関ヶ原の合戦 其の十一(2)慶長の役時の黒田長政・蜂須賀家政処分事件の実相②~朝鮮在陣諸将の独断決定はどこまで許されるか(平成29年9月4日)

考察・関ヶ原の合戦 其の十(2)慶長の役時の黒田長政・蜂須賀家政処分事件の実相①~蔚山籠城救援戦で追撃戦はあった、長政・家政が処分された本当の理由 

(平成29年9月1日)

考察・関ヶ原の合戦 其の九(1)「外交官」石田三成 ~上杉家との外交⑦ 上杉家の会津転封、慶長の役時の黒田長政・蜂須賀家政処分事件の裏側 (平成29年8月29日)

考察・関ヶ原の合戦 其の八 (1)「外交官」石田三成 ~上杉家との外交⑥ 豊臣公議のルール(「惣無事」令等)、石田三成ら取次と上杉家の信頼関係、上杉家はいかにして「親豊臣大大名」となりしか (平成29年8月27日)

考察・関ヶ原の合戦 其の七 (1)「外交官」石田三成 ~上杉家との外交⑤ 奥羽仕置・朝鮮出兵・秀吉の御成、そして五大老へ (平成29年8月26日)

考察・関ヶ原の合戦 其の六  (1)「外交官」石田三成 ~上杉家との外交④ 上杉景勝の佐渡出兵と関東出兵 (平成29年8月24日)

考察・関ヶ原の合戦 其の五 (1)「外交官」石田三成~上杉家との外交③ 出羽庄内における上杉(及び大宝寺)家と最上家の対立事件について(平成29年8月23日)

「嫌われ者 石田三成の虚像と実像~第12章 慶長の役に対する石田三成の「肉声」~「うつけ共か色々事申候ハ、不入事候」(平成29年7月22日)

読書メモ:オンライン三成会『決定版 三成伝説』第六章 朝鮮・文禄の役~日本人は無人に罷りなり候 (平成29年7月16日)

秀吉の朝鮮渡海を主張する石田三成(平成29年7月16日)

読書メモ:小和田哲男『戦国大名と読書』~『先哲叢談』における直江兼続と藤原惺窩のやり取りについて(平成29年7月9日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像~第11章 「地震加藤」はなかった?~文禄の役の加藤清正の一時帰還について (平成29年7月2日)

「古今消息集」にある「慶長五年九月十二日付増田長盛宛石田三成書状」は偽文書?

(平成29年7月2日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像~第10章 『会津陣物語』に見る、江戸時代に作られた虚構のストーリー(平成29年6月28日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像~第9章 蒲生家と石田三成の繋がりについて

(平成29年6月25日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像~第8章 石田三成は蒲生氏郷を毒殺していません

(平成29年5月23日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像~第7章 豊臣秀次家臣を保護する三成 (平成29年5月21日)

秀吉の三つの遺言状  に追記しました。(平成29年5月21日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像~第6章(当たり前の話ですが)豊臣秀頼は石田三成と淀殿の間の子ではありません。 (平成29年5月20日

「嫌われ者 」石田三成の虚像と実像~第5章 千利休切腹事件と石田三成は無関係

(平成29年5月20日

「嫌われ者 」石田三成の虚像と実像~第4章 文禄の役における黒田官兵衛の秀吉叱責は、三成の讒言によるものではない  (平成29年5月20日

慶長の役の時の小西行長と加藤清正について に追記しました。(平成29年5月20日

又吉直樹『劇場』書評・感想(ネタバレあり) (平成29年5月18日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像 第3章~小早川秀秋左遷は、三成の讒言によるものではない (平成29年5月7日)

小早川秀秋の九州入国に気配りをする石田三成 (平成29年5月5日)

権勢(のない?)石田三成~毛利家臣児玉元兼の脇差所望エピソードについて

(平成29年5月4日)

賤ヶ岳の戦いのときの石田三成(平成29年5月2日)

【小説】ビルドアンドビルド 

「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について。(平成29年3月4日)

村上春樹『騎士団長殺し』読了。 (平成29年2月26日)

豊臣秀次切腹事件の真相について⑨~秀次切腹事件時の石田三成らの動向について(下)(平成29年2月12日)

豊臣秀次切腹事件の真相について⑧~秀次切腹事件時の石田三成らの動向について(中)(平成29年2月11日)

豊臣秀次事切腹事件の真相について⑦~秀次切腹事件時の石田三成らの動向について(上)(平成29年2月4日)

豊臣秀次事切腹事件の真相について⑥~(矢部健太郎『関白秀次の切腹』の感想が主です)(平成29年1月29日)

豊臣秀次事切腹事件の真相について⑤~秀次は、実際に「謀反」を企てていたのではないか?~「むほんとやらんのさた」とは何か。(平成29年1月28日)

豊臣秀次事切腹事件の真相について④~(矢部健太郎『関白秀次の切腹』の感想が主です) (平成29年1月22日)

伊達政宗と石田三成について(4)~秀次切腹事件における書状のやり取り 

(平成29年1月21日) 

伊達政宗と石田三成について(3)~石田三成、伊達政宗を気遣う 

(平成29年1月18日)

「三成は「関ヶ原」で軍陣を指揮するために生まれてきたわけではない」~中野等『石田三成伝』感想 (平成29年1月14日)

関ヶ原の戦いにおける西軍決起の首謀者たちは誰か? (平成29年1月9日

なぜ、徳川家康・秀忠は豊臣家を滅ぼし、豊臣秀頼を殺したのか?平成28年12月21日)

豊臣秀次事切腹事件の真相について③~(矢部健太郎『関白秀次の切腹』の感想が主です) 平成28年12月11日)

豊臣秀次事切腹事件の真相について②~(矢部健太郎『関白秀次の切腹』の感想が主です) 平成28年12月4日)

【小説】 長い話 平成28年12月3日)

【小説】 短い話 平成28年12月3日)

細川忠興と石田三成と柿  に追記しました。(平成28年11月13日)

木食応其(深覚坊応其)と石田三成について平成28年11月1日)

日本26聖人殉教事件と石田三成について に追記しました。(平成28年10月30日)

豊臣秀次事切腹事件の真相について①~(矢部健太郎『関白秀次の切腹』の感想が主です) 平成28年10月30日)

「徳川家康暗殺未遂疑惑」について、ちょっと思ったこと。平成28年10月23日)

千利休と石田三成について 平成28年9月28日)

「嫌なら見るな!」? 平成28年9月26日)

石田三成と大谷吉継の友誼について 平成28年9月26日)

大河ドラマ『真田丸』 第37話 「信之」 感想 平成28年9月19日)

斎藤一の写真見つかる 平成28年9月16日)

大河ドラマ 『真田丸』 第36話 「勝負」 感想平成28年9月12日)

「(三谷幸喜のありふれた生活:815)石田三成の「ミニ関ケ原」についての考察」の考察 平成28年9月8日)

大河ドラマ 『真田丸』 第35話 「犬伏」 感想平成28年9月4日)

平成28年9月6日追記あり

大河ドラマ『真田丸』構成の考察・まとめ (第34話まで)平成28年9月3日)

大河ドラマ『真田丸』第34話「挙兵」感想 平成28年9月1日)

大河ドラマ『真田丸』第34話「挙兵」感想 の前に・・・・・・平成28年8月30日)

大河ドラマ 『真田丸』 第33話 「動乱」 感想 (平成28年8月22日)

大河ドラマ 『真田丸』 第32話 「応酬」 感想平成28年8月15日)

秀吉の三つの遺言状 (平成28年8月13日)

大河ドラマ 『真田丸』 第31話 「終焉」 感想 平成28年8月9日)

平成28年8月11日追記あり

大河ドラマ 『真田丸』 第30話 「黄昏」 感想平成28年8月6日)

大河ドラマ 『真田丸』 第29話 「異変」 感想平成28年7月29日)

大河ドラマ 『真田丸』 第28話 「受難」 感想 平成28年7月27日)

大河ドラマ 『真田丸』 第27話 「不信」 感想平成28年7月10日)

千利休切腹の謎(?)平成28年7月9日)

大河ドラマ 『真田丸』 第26話 「瓜売」 感想平成28年7月5日)

YOMIURI ONLINEのコラム「ツンデレ? NHK「真田丸」三成の処世術」の感想 平成28年7月2日)

真田丸 第25話 『別離』 感想平成28年6月27日)

石田三成と忍城水攻めの実相について 平成28年6月24日)

史実とフィクションのあいだ平成28年6月23日)

大河ドラマ 『真田丸』 第24話 「滅亡」 感想 平成28年6月21日)

机上の名将 平成28年6月17日)

大河ドラマ 『真田丸』 第23話 「攻略」 感想 平成28年6月14日)

大河ドラマ 『真田丸』 第22話 「裁定」 感想 平成28年6月7日)

宮下英樹『センゴク権兵衛』1巻での石田三成エピソードの感想 平成28年6月5日)

大河ドラマ 『真田丸』 第21話 「戦端」 感想 平成28年6月2日)

真田昌幸はなぜ、上洛を延引し続けたのか?②平成28年5月29日)

聚楽第落書事件について 平成28年5月29日)(追記あり

大河ドラマ 『真田丸』 第20話 「前兆」 感想 平成28年5月25日)

真田昌幸はなぜ、上洛を延引し続けたのか?① 平成28年5月21日)

大河ドラマ 『真田丸 』第19話 「恋路」 感想(ではない)平成28年5月20日

大河ドラマ 『真田丸』 第18話 「上洛」 感想平成28年5月9日)

石田三成と真田信之(信幸)の友誼について 平成28年5月8日)

大河ドラマ 『真田丸』 第17話 「再会」 感想 平成28年5月3日)(平成28年5月4日

追記)

大河ドラマ 『真田丸』 第16話 「表裏」 感想 平成28年4月26日)

大河ドラマ『真田丸』 第15話 「秀吉」 感想 平成28年4月24日)

大河ドラマ『真田丸』 第14話「大坂」 感想 平成28年4月13日)

大河ドラマ『真田丸』 第13話「決戦」感想 平成28年4月3日)

真田昌幸・信繁と石田三成・大谷吉継について 平成28年2月27日)

大河ドラマ『真田丸』 第7話「奪回」 感想(ただの愚痴です)平成28年2月21日)

細川ガラシャの最期について~霜女覚書に見る「記憶の塗り替え」③ 

平成28年2月21日)

大河ドラマ『真田丸』 ここまでの感想平成28年2月13日)

細川ガラシャの最期について~『霜女覚書』に見る「記憶の塗り替え」② 

平成28年1月24日)

大河ドラマ『真田丸』 第1回「船出」 感想 平成28年1月16日)

(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)コメントの回答 

平成28年1月9日) 

平成28年1月3日)

「最初から家康は石田三成と仲が悪かったのか?」 平成27年12月20日

三国志 考察 その25 劉備・諸葛亮の反曹操連盟 平成27年11月26日)

三国志 考察 その24 後漢末の儒者、鄭玄と盧植について、ふと思ったこと。

平成27年11月15日)

三国志 考察 その23 なぜ、何進・袁紹は董卓を召し寄せたのか?②

平成27年11月15日)

関ヶ原の戦いは西軍が負けるべくして負けた戦い~毛利輝元の「天下三分の計」

平成27年11月15日)

三国志 考察 その22 なぜ、何進・袁紹は董卓を召し寄せたのか?① 

平成27年11月4日)

三国志 考察 その21 霊帝は暗君だったか?平成27年11月3日)

三国志 考察 その20 劉備の勝率は5割2分平成27年11月2日)

三国志 考察 その19 曹操の勝率は8割8分平成27年11月1日)

三国志 考察 その18 曹操の清流派への転身③平成27年11月1日)

三国志 考察 その17 曹操の清流派への転身②~許劭は曹操をどう評価したのか?

平成27年10月25日)

三国志 考察 その16 曹操の清流派への転身① 平成27年10月24日)

三国志 考察 その15 党錮の禁と袁紹の「奔走の友」について平成27年10月19日)

三国志 考察 その14 曹操の祖父、曹騰の宮廷遊泳術 平成27年10月11日)

三国志 考察 その13 後漢の宦官は必要悪(3)平成27年10月4日)

三国志 考察 その12 後漢の宦官は必要悪(2)平成27年9月7日)

三国志 考察 その11 後漢の宦官は必要悪(1)平成27年9月7日)

三国志 考察 その10 なぜ、劉備は徐州刺史を引き受けたのか?平成27年7月20日

三国志 考察 その9 曹操が徐州虐殺をした理由平成27年7月19日)

三国志 考察 その8 曹操の屯田制は過大評価されている (平成27年7月18日)

「石田三成にもう少し人望があれば・・・・・・」平成27年6月30日)

どうでもいいけど、平成27年6月27日)

『ヒストリエ』9巻 感想(ネタバレあり)平成27年5月24日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像  第2章~古渓宗陳を配流させた?

平成27年5月6日)

「嫌われ者」石田三成の虚像と実像 第1章~石田三成はなぜ嫌われまくるのか?

平成27年5月6日)

石田三成は(残念だが)「コミュ障」ではない 平成27年5月5日)

慶長の役の時の小西行長と加藤清正について (平成27年3月29日)

浅野幸長の能登配流について (平成27年3月16日)

『その女アレックス』感想(ネタバレあり)平成27年2月21日)

立花宗茂と石田三成について 平成27年2月7日)

細川忠興と石田三成と柿 平成27年1月31日)

村上春樹作品における「悪」について-第9章 「孤絶」について平成27年1月22日)

村上春樹作品における「悪」について-第8章 『アフターダーク』~過渡的な実験作 平成27年1月22日)

村上春樹作品における「悪」について-第7章 『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』とドストエフスキー『悪霊』~スタヴローキンはどこへ行った? 

平成27年1月22日)

村上春樹作品における「悪」について-第6章 『1Q84』の「悪」~リトル・ピープル 平成27年1月22日)

村上春樹作品における「悪」について-第5章 『海辺のカフカ』の「悪」について 平成27年1月22日)

村上春樹作品における「悪」について-第4章  アーレントにおける「悪」の概念とは~村上春樹作品における「悪」の概念の変遷について平成27年1月22日)

村上春樹作品における「悪」について-第3章 『スプートニクの恋人』~「悪」は主要なテーマではない 平成27年1月22日)

村上春樹作品における「悪」について-第2章 ユング心理学における「悪=普遍的な影」と『ねじまき鳥クロニクル』について平成27年1月22日)

村上春樹作品における「悪」について-第1章 はじめに 平成27年1月22日) 

【NHK大河ドラマ 花燃ゆ】第1話「人むすぶ妹」感想 平成27年1月4日)

伊達政宗と石田三成について(2) 平成27年1月3日)

伊達政宗と石田三成について(1)平成27年1月2日)

石田三成の人物評について平成26年12月31日)

『僕だけがいない街』5巻 感想・考察(ネタバレです)平成26年12月30日)

日本26聖人殉教事件と石田三成について平成26年12月28日)

藤堂高虎・高吉と石田三成 平成26年12月27日)

松寿丸(黒田長政)の匿い先についての疑問 平成26年12月27日)

戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次

 ☆総目次に戻る☆

 

石田三成関係略年表

石田三成関係略年表 目次 

 

☆慶長争乱(関ヶ原合戦)時系列まとめ

(慶長三(1598)年八月~慶長五(1600)年五月)

関ヶ原への百日

(慶長五(1600)年六月~九月) 

☆慶長争乱(関ヶ原合戦)時系列まとめ ・関ヶ原への百日 目次

 

☆考察・関ヶ原の合戦 目次

其の一  はじめに+目次 

其の二  石田三成の「取り成し」人生

其の三 (1)「外交官」石田三成~上杉家との外交① 三成、外交官デビュー 

其の四 (1)「外交官」石田三成~上杉家との外交② 新発田重家問題 

其の五 (1)「外交官」石田三成~上杉家との外交③ 出羽庄内における上杉(及び大宝寺)家と最上家の対立事件について

其の六 (1)「外交官」石田三成 ~上杉家との外交④ 上杉景勝の佐渡出兵と関東出兵

其の七 (1)「外交官」石田三成 ~上杉家との外交⑤ 奥羽仕置・朝鮮出兵・秀吉の御成、そして五大老へ

 其の八 (1)「外交官」石田三成 ~上杉家との外交⑥ 豊臣公議のルール(「惣無事」令等)、石田三成ら取次と上杉家の信頼関係、上杉家はいかにして「親豊臣大大名」となりしか

其の九(1)「外交官」石田三成 ~上杉家との外交⑦ 上杉家の会津転封、慶長の役時の黒田長政・蜂須賀家政処分事件の裏側

其の十(2)慶長の役時の黒田長政・蜂須賀家政処分事件の実相①~蔚山籠城救援戦で追撃戦はあった、長政・家政が処分された本当の理由 

 其の十一(2)慶長の役時の黒田長政・蜂須賀家政処分事件の実相②~朝鮮在陣諸将の独断決定はどこまで許されるか 

其の十二(2)慶長の役時の黒田長政・蜂須賀家政処分事件の実相③~戦線縮小(案)はなぜ、秀吉から激怒されたか 

其の十三 (3)関ヶ原の戦いで西軍はなぜ、東軍に負けたのか?①~西軍の組織構造は? 

其の十四 (3)関ヶ原の戦いでなぜ西軍は東軍に負けたのか?~②関ヶ原の戦いをめぐる3つの派閥  a.「徳川派」とは何か・石田三成は、しばらく「徳川派」だった!?

其の十五(2)慶長の役時の黒田長政・蜂須賀家政処分事件の実相④~処分の決定時に「石田三成外し」があった?

其の十六 (3)関ヶ原の戦いでなぜ西軍は東軍に負けたのか?~②関ヶ原の戦いをめぐる3つの派閥 a.「徳川派」とは何かの続き1

其の十七 (3)関ヶ原の戦いでなぜ西軍は東軍に負けたのか?~②関ヶ原の戦いをめぐる3つの派閥 a.「徳川派」とは何か・大谷吉継も、しばらく「徳川派」だった

其の十八  秀吉に最も期待をかけられた大名、宇喜多秀家 

其の十九 「大老」宇喜多秀家 

其の二十 太閤検地とは何か?

其の二十一  宇喜多騒動とは

其の二十二  七将襲撃事件以降の石田家の動向について

其の二十三  徳川家康の森忠政独断加増事件-北信濃を巡る関ヶ原前哨戦

其の二十四  西軍における石田三成の立ち位置について 

其の二十五  奉行衆の主な三つの権能 

其の二十六 イエズス会日本報告の記述における豊臣秀吉死去前後の状況① 

其の二十七 イエズス会日本報告の記述における豊臣秀吉死去前後の状況② 

其の二十八 イエズス会日本報告の記述における豊臣秀吉死去前後の状況③ 

其の二十九 宇喜多秀家・石田三成・大谷吉継・小西行長は「北政所派」① 

其の三十 宇喜多秀家・石田三成・大谷吉継・小西行長は「北政所派」② 

其の三十一 なぜ、小早川秀秋は西軍を裏切ったのか? 

其の三十二 西軍の「総大将」毛利輝元 ①秀吉の遺言~「西国の儀任せ置かるの由候」

其の三十三 西軍の「総大将」毛利輝元 ②秀秋越前・加賀転封時における、石田三成の小早川旧臣救済

其の三十四 西軍の「総大将」毛利輝元 ③毛利秀就の跡目について

其の三十五 慶長四年九月における、宇喜多秀家の大坂から伏見への居所変更の経緯について

其の三十六 秀吉死去前後に作成された起請文について 

其の三十七「五大老」について~1.文禄・慶長役後の朝鮮半島からの撤兵① 

其の三十八「五大老」について~1.文禄・慶長役後の朝鮮半島からの撤兵② 

其の三十九「五大老」について~1.文禄・慶長役後の朝鮮半島からの撤兵③ 

其の四十「五大老」について~2.謀反や反乱の対処(庄内の乱) 

其の四十一「五大老」について~3.領地の給与

其の四十二「七将襲撃事件」とは何だったのか?①

其の四十三「七将襲撃事件」とは何だったのか?② 

其の四十四「七将襲撃事件」とは何だったのか?③ 

其の四十五「七将襲撃事件」とは何だったのか?④ 

 其の四十六「七将襲撃事件」とは何だったのか?⑤ 

其の四十七 「内府ちがひの条々」以降の三奉行(前田玄以・増田長盛・長束正家)の動向について

其の四十八 イエズス会が分析した関ヶ原の戦いにおける西軍の敗因について

其の四十九 徳川家康の人質にされそうになった(?)毛利輝元養女(追記あり)

 

☆「嫌われ者」石田三成の虚像と実像

第1章~石田三成はなぜ嫌われまくるのか?(+目次)

第2章~古渓宗陳を讒言により配流させた?

第3章~小早川秀秋左遷は、三成の讒言によるものではない  

第4章~ 文禄の役における黒田官兵衛の秀吉叱責は、三成の讒言によるものではない 

第5章~ 千利休切腹事件と石田三成は無関係

第6章~(当たり前の話ですが)豊臣秀頼は石田三成と淀殿の間の子ではありません

第7章~ 豊臣秀次家臣を保護する三成

第8章~ 石田三成は蒲生氏郷を毒殺していません

第9章~ 蒲生家と石田三成の繋がりについて

第10章~『会津陣物語』に見る、江戸時代に作られた虚構のストーリー 

第11章~「地震加藤」はなかった?~文禄の役の加藤清正の一時帰還について

第12章 ~慶長の役に対する石田三成の「肉声」~「うつけ共か色々事申候ハ、不入事候」

第13章 ~細川ガラシャ事件と石田三成は無関係 

第14章 ~石田三成は加藤光泰を毒殺していません 

第15章 なぜ、(実際には違うが)石田三成は伊達政宗を「敵視」していたと誤解されるのか?(1)

第16章 なぜ、(実際には違うが)石田三成は伊達政宗を「敵視」していたと誤解されるのか?(2)

 

石田三成関連 目次

腐った桃の方程式

治部煮の想い出 

藤堂高虎・高吉と石田三成 

日本26聖人殉教事件と石田三成について

石田三成の人物評について

伊達政宗と石田三成について(1)

伊達政宗と石田三成について(2) 

伊達政宗と石田三成について(3)~石田三成、伊達政宗を気遣う 

伊達政宗と石田三成について(4)~秀次切腹事件における書状のやり取り 

細川忠興と石田三成と柿 

立花宗茂と石田三成について 

石田三成は(残念だが)「コミュ障」ではない 

「石田三成にもう少し人望があれば・・・・・・」

「最初から家康は石田三成と仲が悪かったのか?」

細川ガラシャの最期について~『霜女覚書』に見る「記憶の塗り替え」①

細川ガラシャの最期について~『霜女覚書』に見る「記憶の塗り替え」② 

細川ガラシャの最期について~『霜女覚書』に見る「記憶の塗り替え」③ 

真田昌幸・信繁と石田三成・大谷吉継について 

石田三成と大谷吉継の友誼について 

石田三成と真田信之(信幸)の友誼について 

宮下英樹『センゴク権兵衛』1巻での石田三成エピソードの感想

石田三成と忍城水攻めの実相について 

YOMIURI ONLINEのコラム「ツンデレ? NHK「真田丸」三成の処世術」の感想 平成28年7月2日)

千利休切腹の謎(?)

千利休と石田三成について 

「(三谷幸喜のありふれた生活:815)石田三成の「ミニ関ケ原」についての考察」の考察 平成28年9月8日)

「徳川家康暗殺未遂疑惑」について、ちょっと思ったこと。

豊臣秀次事切腹事件の真相について①~(矢部健太郎『関白秀次の切腹』の感想が主です) 

 ②   ③   ④   ⑤   ⑥ 

 豊臣秀次切腹事件の真相について ⑦~秀次切腹事件時の石田三成らの動向について(上) ⑧(中) ⑨(下)

木食応其(深覚坊応其)と石田三成について

「三成は「関ヶ原」で軍陣を指揮するために生まれてきたわけではない」~中野等『石田三成伝』感想 

賤ヶ岳の戦いのときの石田三成

権勢(のない?)石田三成~毛利家臣児玉元兼の脇差所望エピソードについて

小早川秀秋の九州入国に気配りをする石田三成 (平成30年2月17日追記)

「古今消息集」にある「慶長五年九月十二日付増田長盛宛石田三成書状」は偽文書? 

秀吉の朝鮮渡海を主張する石田三成

読書メモ:オンライン三成会『決定版 三成伝説』第六章 朝鮮・文禄の役~日本人は無人に罷りなり候 

本日は、石田三成の命日

安東(秋田)実季と石田三成について 

北信濃で石田三成・直江兼続が進めた「兵農分離」

石田三成と甲賀と忍者 

津軽家と石田三成の次男重成、三女辰姫 

秀吉軍が行った「補給戦」とは?

柿好き石田三成(平成30年1月20日

谷徹也編著『石田三成』読書メモ~慶長五(1600)年六月頃の石田三成の動き

上杉景勝と石田三成と鷹狩について

佐竹義宣と石田三成について① 

佐竹義宣と石田三成について②~宇都宮国綱改易事件 

佐竹義宣と石田三成について③~義宣、七将襲撃事件で三成の危急を救う

佐竹義宣と石田三成について④~関ヶ原合戦、秋田にある石田三成の墓 

(平成30年2月18日)

島井宗室と石田三成について 

結城秀康と石田三成と石田切込正宗

神屋宗湛と石田三成について

春屋宗園・沢庵宗彭と石田三成について

石田三成の次女 小石殿とその子孫① 

石田三成の次女 小石殿とその子孫②~石田三成の曾孫(於振の方)、徳川家光の側室となる 

島津義弘と石田三成について① 

島津義弘と石田三成について②

島津義弘と石田三成について③ 

島津義弘と石田三成について④ 

島津義弘と石田三成について⑤

島津義弘と石田三成について⑥-泗川の戦い、五万石の加増 

島津義弘と石田三成について⑦-庄内の乱

島津義弘と石田三成について⑧-義弘の伏見城入城はなぜ拒否された?

島津義弘と石田三成について⑨-なぜ、島津義弘は西軍についたのか?

島津義弘と石田三成について⑩-関ヶ原の戦い、島津退き口 

石田三成の重臣 嶋(左近)清興 

石田三成家臣団

石田三成の「村掟」

石田三成 名言集

石田三成と小早川秀秋の繋がりについて~博多代官 石田三成 

石田三成、徳川家康に秀吉の死去を知らせる。(『戸田左門覚書』について)

(令和元年10月27日)

『武将感状記』に書かれた、石田三成の「三献茶」の逸話 (令和2年2月9日)

文禄の役時の石田三成の動向について①(令和3年1月2日)

文禄の役時の石田三成の動向について②~勝申候内二日本人ハ無人ニ罷成候 (令和3年1月3日)

 

☆その他 戦国時代・考察 目次

「本能寺の変」の真相について

「諸葛孔明は忠臣か?」~あるいは託孤寄命とは。

関ヶ原の戦いについての素朴な疑問

「歴史は勝者がつくる」が「勝者は事実によって裁かれる」ということ

「直江状」は偽書か?⇒偽書です。(平成30年2月24日追記)

松寿丸(黒田長政)の匿い先についての疑問 

浅野幸長の能登配流について 

慶長の役の時の小西行長と加藤清正について 

関ヶ原の戦いは西軍が負けるべくして負けた戦い~毛利輝元の「天下三分の計」 

真田昌幸はなぜ、上洛を延引し続けたのか?① 

真田昌幸はなぜ、上洛を延引し続けたのか?② 

聚楽第落書事件について 追記あり

秀吉の三つの遺言状 

なぜ、徳川家康・秀忠は豊臣家を滅ぼし、豊臣秀頼を殺したのか?

関ヶ原の戦いにおける西軍決起の首謀者たちは誰か? 

関ヶ原の戦いにおける西軍決起計画の『主導者』は誰か? (令和2年8月9日)

読書メモ:小和田哲男『戦国大名と読書』~『先哲叢談』における直江兼続と藤原惺窩のやり取りについて

「兵農分離」はあったか?

関ヶ原! 

「批評」とは何か~読書メモ:守屋淳『もう一つの戦略教科書 『戦争論』』 

【書評】① 高橋陽介『秀吉は「家康政権」を遺言していた』第一部 天正二〇年四月~慶長三年一月 (令和元年11月13日 追記)

【書評】② 高橋陽介『秀吉は「家康政権」を遺言していた』~第二部 慶長三年三月~八月① (令和元年11月22日)

【書評】③ 高橋陽介『秀吉は「家康政権」を遺言していた』~第二部 慶長三年三月~八月② 

「徳川秀忠より上杉景勝の三家臣に遣れる書状〔慶長三年十月二十三日〕」について

(令和2年2月2日) 

『徳川実紀』にみる、「『秀吉は家康に政権を禅譲した』説の否定」(令和2年2月6日)

「内府ちがひの条々」について(令和2年7月24日)

文禄の役時の宇喜多秀家の立ち位置と黒田官兵衛の動きについて(令和2年9月10日)

 

大河ドラマ 真田丸】感想 目次

大河ドラマ『真田丸』 第1回「船出」 感想 

大河ドラマ『真田丸』 ここまでの感想

大河ドラマ『真田丸』 第7話「奪回」 感想(ただの愚痴です)

大河ドラマ『真田丸』 第13話「決戦」感想 平成28年4月3日)

大河ドラマ『真田丸』 第14話「大坂」 感想 平成28年4月13日)

大河ドラマ『真田丸』 第15話 「秀吉」 感想 平成28年4月24日)

大河ドラマ 『真田丸』 第16話 「表裏」 感想 平成28年4月26日)

大河ドラマ 『真田丸』 第17話 「再会」 感想 平成28年5月3日)

大河ドラマ 『真田丸』 第18話 「上洛」 感想平成28年5月9日)

大河ドラマ 『真田丸 』第19話 「恋路」 感想(ではない)平成28年5月20日

真田昌幸はなぜ、上洛を延引し続けたのか?① 平成28年5月21日)

大河ドラマ 『真田丸』 第20話 「前兆」 感想 平成28年5月25日)

聚楽第落書事件について 平成28年5月29日)(追記あり

真田昌幸はなぜ、上洛を延引し続けたのか?②平成28年5月29日)

大河ドラマ 『真田丸』 第21話 「戦端」 感想 平成28年6月2日)

大河ドラマ 『真田丸』 第22話 「裁定」 感想 平成28年6月7日)

大河ドラマ 『真田丸』 第23話 「攻略」 感想 平成28年6月14日)

机上の名将 平成28年6月17日)

大河ドラマ 『真田丸』 第24話 「滅亡」 感想 平成28年6月21日)

史実とフィクションのあいだ平成28年6月23日)

石田三成と忍城水攻めの実相について 平成28年6月24日)

大河ドラマ『真田丸』 第25話 「別離」 感想平成28年6月27日)

YOMIURI ONLINEのコラム「ツンデレ? NHK「真田丸」三成の処世術」の感想 平成28年7月2日)

大河ドラマ 『真田丸』 第26話 「瓜売」 感想平成28年7月5日)

千利休切腹の謎(?)平成28年7月9日)

大河ドラマ 『真田丸』 第27話 「不信」 感想平成28年7月10日)

大河ドラマ 『真田丸』 第28話 「受難」 感想 平成28年7月27日)

大河ドラマ 『真田丸』 第29話 「異変」 感想平成28年7月29日)

大河ドラマ 『真田丸』 第30話 「黄昏」 感想平成28年8月6日)

大河ドラマ 『真田丸』 第31話 「終焉」 感想 平成28年8月9日)

平成28年8月11日追記あり

秀吉の三つの遺言状 (平成28年8月13日)

大河ドラマ 『真田丸』 第32話 「応酬」 感想平成28年8月15日)

大河ドラマ 『真田丸』 第33話 「動乱」 感想 (平成28年8月22日)

大河ドラマ『真田丸』第34話「挙兵」感想 の前に・・・・・・平成28年8月30日)

大河ドラマ『真田丸』第34話「挙兵」感想 平成28年9月1日)

大河ドラマ『真田丸』構成の考察・まとめ (第34話まで)平成28年9月3日)

大河ドラマ 『真田丸』 第35話 「犬伏」 感想平成28年9月4日)

平成28年9月6日追記あり

「(三谷幸喜のありふれた生活:815)石田三成の「ミニ関ケ原」についての考察」の考察 平成28年9月8日)

大河ドラマ 『真田丸』 第36話 「勝負」 感想平成28年9月12日)

大河ドラマ『真田丸』 第37話 「信之」 感想 平成28年9月19日)

「嫌なら見るな!」? 平成28年9月26日)

「徳川家康暗殺未遂疑惑」について、ちょっと思ったこと。平成28年10月23日)

 

☆【大河ドラマ 軍師官兵衛】感想 目次

【大河ドラマ 軍師官兵衛】石田三成「NHK!、わしを陥れるためにここまでやるか!」

【大河ドラマ 軍師官兵衛】田中圭「田中圭のことを嫌いになっても、石田三成のことは嫌いにならないでください!」 

妄想 軍師官兵衛

【大河ドラマ 軍師官兵衛】第46話「家康動く」感想 

【大河ドラマ 軍師官兵衛】第47回「如水謀る」 感想 

【大河ドラマ 軍師官兵衛】第48回「天下動乱」 感想 

三国志 考察 目次

☆総目次に戻る☆

その1 「呂伯奢一家殺人事件」

その2 「桃園結義」について 

その3 黄巾の乱の時の中郎将 

その4 黄巾の乱の時の幽州情勢について 

その5 黄巾の乱後の劉備の動向について①

その6 黄巾の乱後の劉備の動向について② 

その7 黄巾の乱後の劉備の動向について③(劉備、徐州へ行く)

その8 曹操の屯田制は過大評価されている 

その9 曹操が徐州虐殺をした理由 

その10 なぜ、劉備は徐州刺史を引き受けたのか? 

その11 後漢の宦官は必要悪(1)

その12 後漢の宦官は必要悪(2)

その13 後漢の宦官は必要悪(3)

その14 曹操の祖父、曹騰の宮廷遊泳術

その15 党錮の禁と袁紹の「奔走の友」について 

その16 曹操の清流派への転身① 

その17 曹操の清流派への転身②~許劭は曹操をどう評価したのか?

その18 曹操の清流派への転身③ 

その19 曹操の勝率は8割8分 

その20 劉備の勝率は5割2分

その21 霊帝は暗君だったか?

その22 なぜ、何進・袁紹は董卓を召し寄せたのか?① 

その23 なぜ、何進・袁紹は董卓を召し寄せたのか?② 

その24 後漢末の儒者、鄭玄と盧植について、ふと思ったこと。

その25 劉備・諸葛亮の反曹操連盟

 

「諸葛孔明は忠臣か?」~あるいは託孤寄命とは。 

村上春樹 関連 目次

 ☆総目次に戻る(『古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)』の総目次です。)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。(感想・考察・謎解き) (ネタバレあり)(目次)

謎解き 村上春樹(感想・考察・書評) (ネタバレあり)(目次)

 

※以下は、『古上織蛍の日々の泡沫(うたかた)』の村上春樹関連エントリー一覧です。↓

 

村上春樹作品における「悪」について☆平成27年1月22日)

第1章  はじめに

第2章  ユング心理学における「悪=普遍的な影」と『ねじまき鳥クロニクル』について 

第3章 『スプートニクの恋人』~「悪」は主要なテーマではない

第4章  アーレントにおける「悪」の概念とは~村上春樹作品における「悪」の概念の変遷について

第5章 『海辺のカフカ』の「悪」について 

第6章 『1Q84』の「悪」~リトル・ピープル

第7章 『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』とドストエフスキー『悪霊』~スタヴローキンはどこへ行った?

第8章 『アフターダーク』~過渡的な実験作 

第9章 「孤絶」について  

 

オリーブグリーン革命

村上春樹作品における主人公の「名前」について 

村上春樹氏の文章構成は正しいのか?

「緑色の眼の怪物」(green-eyed monster) 

村上春樹『1Q84』の質問募集 

(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)コメントの回答 

村上春樹『騎士団長殺し』読了。 (平成29年2月26日)

「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について。

(平成29年3月4日)

 

 

 

本・漫画の書評・感想 目次

 ☆総目次 に戻る☆

スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣」書評 

ギリアン・フリン『ゴーン・ガール』を読んだ。

『僕だけがいない街』1~4巻 感想・考察(ネタバレです)

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』について 

横溝正史『獄門島』感想(ネタバレあり)

『信長協奏曲』1~11巻感想(ネタバレあり)

『僕だけがいない街』5巻 感想・考察(ネタバレです)平成26年12月30日)

『その女アレックス』感想(ネタバレあり)平成27年2月21日)

『ヒストリエ』9巻 感想(ネタバレあり)平成27年5月24日)

又吉直樹『劇場』書評・感想(ネタバレあり)平成29年5月18日)

雑想・その他 目次

☆総目次に戻る☆ 

小学4年の国語の教科書の問題がよく分からない 

映画『MONSTERZ モンスターズ』の予告CMを見て 

「いじめられる側に原因がある」という言説について 

マタハラ裁判最高裁の判決について

「就活で面接がうまくいかない」ことについて

【NHK大河ドラマ 花燃ゆ】第1話「人結ぶ妹」感想(平成27年1月4日)

どうでもいいけど、(平成27年6月27日)

斎藤一の写真見つかる (平成28年9月16日)